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                                    あとがき

 この小説を一番最初に「書こう」と思ったのは、15の時、ちょうどS君の「あとがき」を写した読書感想文が学校の代表に選ばれた時だった。

「これは、面白い」と早速書き始めた。

 それから完成まで、10年かかった。つまりこの小説には10年間という、長いようで短かった。僕の青年期が記録されている。

 

 病気を発症したのは、この小説で書いた後の事だ。書いている時は、父の事を他人事のように描いたが、まさか自分に遺伝していたとは…あの世で会ったら説教してやる。というかこの「衣斐」という家系は、知れば知るほど、おかしなことに満ち溢れている。一番は、爺ちゃんがいない。そのことに誰一人ふれようともしない。でも俺の代で滅ぶし、だけど、脊髄小脳変性症で転倒とか、付随する病気で死ぬのは嫌だ。僕は命に関してはとても卑しい。生きる事に卑しくなることは悪くはない。それにいつか良い薬ができるかもしれない。

 

 小説のあとがきでした。すみません。

 

 敏夫役のO君は、精神病院にいれられたらしい。詳しい事はわからないが、「体がビリビリする」と以前電話で言っていた。現在はどっかの農家に居るそうだ。

 太郎は色々な人をミックスして創った、まったくの架空の人物です。

 夢は現在、結婚し旦那さんと飲み屋をやっているそうだ。

 美雪はその後、バンドを組んだそうだ。僕も驚いたが、店に来たお客さんが「今、うちのバンドにいるんすよ」と言っていました。その人がアフロ・ヘアーだったので、あぁ類は友を呼ぶって本当なんだと思いました。

 

 解散したバンドのメンバーのその後など、気にする余裕もなく、僕はリハビリの学校へ入学した。で国家試験を乗り切り、無事卒業。就職した辺りで歯車が狂いだした。真っ直ぐ歩けない。これが症状の始まり。その後は病気であることは隠し、様々な医療施設を転々とした。当然だ。僕自身が一番わかっていた。「もう無理だ」と。つまり僕は限界を超えた「死」に近い所で働き続けた。何故か?それは需要があったからだ。面接では、ほぼ受かった。そして何より、ST(言語聴覚士)という仕事は楽しかった。うるさい奴も、次会ったら殴りたい奴も色々な人に会った。「あぁ、社会人ってのは金を持ったバカのことなんだ」そりゃそうだ。僕も含め約30年前は生まれてもいない。精子でもなかった。「アレ?まったくベトつかねぇ」状態だった訳だ。バイト時代がいかに充実していたか、よくわかった。

 

 社会はクソだ。とわかったところで僕の人生は恐らく終わる。「そう簡単には死なん」それも分かっている。命を人ごときが、自由に扱えるなど、傲慢だ。だから僕は今は、薬で眠くなりながら、車椅子に乗り、実家で暮らしている。

 

あぁ、まったく信じられない。毎日遅くなっていく、鈍くなっていく身体と相談しながらの行動に疲労困ぱいしながら生きている。27歳を超えたところで、僕の中で「自殺」という選択肢は消えた。「よし、生きるぞ」と良い職も得て、順風満帆だったところを、病気でバーンって訳だ。

 

 しかし、今まで僕は様々な人、場所、モノから散々力を貰ってきた。おかげで僕の時間は有意義になった。それは知らず知らずのうちに力を奪ってきたと言い換えられるかもしれない。それ程僕は刺激に飢えていた。だからか、得た知識や体験を入学したら少しずつだが還元していこうと考えた。散々奪っときながら、今度は与える立場につこうって訳だ。まったく上手い話だが…できていたかな?思えば開ける必要のない、宝箱まで開けてしまった方もいた気がする。出過ぎていたら、この場であやまろう。すまない。

 

時に世界は驚くほど寛容だ。障害を抱えても生きていけるように、色々な人が助けてくれる。多くの人のお世話になりながら、薬に頼りながら、何とか生きている。動作は遅くとも、こうして悪態をつき、咽込ながらも、食事もでき、呼吸をしている。つまり生きている。しかし油断はできない。この命は風前の灯であることは分かっているつもりだ。

 

浮いたり沈んだり、不思議な事ばかりだ。ただ今は、僕を生かそうとしてくれる人たちに完全に支えられながら、生きている。頭がまともなうちは、命は思い通りにはならない。特にこの脊髄小脳変性症は大脳に障害は及ばないらしいので、動かなくなっていく我が身を見なければならない。いつかその日が来るのかと思うと、想像しただけで気が狂いそうになる。だが僕は自殺や安楽死は望まない。それは僕は心底、人間を信じているからだ。

 

 この世で一番苦しんでいるのは、僕であり、あなただ。心とは一人ひとり違うが、結局その心の宿主のことを一番に考える。だから人はかわいい。心は文化を形成し、やがて文化は人格を形成し始め、それを僕は命という。命こそ、生命がたった一つ持つ、尊い真理だ。心と文化と命は、その人を創り上げるうえで、必要なトライアングルであると思う。

中島みゆきの詩みたいだが、こんなことを考えたりもする。

 今僕は、この脊髄小脳変性症という病気の現状を、一人でも多く知ってもらえるように、あの「1リットルの涙」の様にはいかないですが、動けるうちは、色々な方に手をお借りしながら活動しようと思っております。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。また何らかの作品を発表していければと、思っています。

では皆さん、どうぞ健康で。

衣斐 大輔 2016.6.5

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