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社会構造内の医療

 

 

 僕はモノを複雑に考えるのが苦手で、いつだってシンプルに頭の中で解釈し生きてきた。社会とは生産者と消費の二つで成り立つと思っていた。医療の資格を取ろうと思ったときは、父の死という自分では大きな岐路に立たされていたこともあってか「とりあえず…」的な甘さがあったことは否めない。それでも試験に通り無事に4年間の学生生活を終え、国家資格を得たのだから頑張った方だとは思う。学生の頃はこの「医療」の社会的な位置など考えもしなかった。この世は「生産と消費」で成り立っている。このシンプルな考えは学生時代は形を潜めていた。だから実習もやり遂げられたし、大きな問題も起こさず無事卒業できたのだと思う。

 

 しかし実際に就職し、働いてみるとこの疑問がふつふつと現れ始めた。「俺は今どっちにいるのだろうか?」何かを生産する立場か?何かを消費する立場か?僕はどちらにいるのかわからなくなった。自分を見失ったという感じだ。そうなると心は簡単に崩れる。僕は仕事を辞めた。僕は完全に壊れた。神経は常に高ぶり周りの目にも異様に敏感になった。僕は壊れたままですぐに次の仕事を始めた。案の定心はもたなかった。足首に風邪の菌が入るというアクシデントで僕は一か月ほど歩けなくなり僕は二つ目の仕事を自主退社した。その原因はやはり気持ちにあったと思う。

 

 その後は国家資格を必要としない生活を送った。その生活はいたってシンプルで生産と消費の関係がわかりやすく、頭を悩ませることも少ない。しかし最近ふと振り返った。「果たして生産と消費以外の仕事とは何なのだろう」

 

 ふと気になった。特に自分がやっていた医療とは何なのだろう。思えば僕は生産と消費以外の考え方を一切排除した思考で大体のことを乗り切ってきた。広義の意で医療者は生産者なのだろう。となると患者さんは消費者か?…何だシンプルじゃないか。これでいい。では僕はこんなシンプルなことに何故気づかなかった?それは医療者=生産者、消費者=患者さんという図式が腑に落ちなかったせいであると思う。では何だ?自分の技術に対して給料が多すぎると感じたから僕は辞めたのか?確かに今までのバイト暮らしの中で11万円を超えた給金をもらったことはなかったためそのギャップに対しての責任感からくるプレッシャーが嫌だったというのはある。だがその手のプレッシャーは仕事量に比例して薄れていった。では何だ?善人顔して金を摂取していることが嫌になったか?いや、その辺はギブ&テイクなのだと納得していたはずだ。では何だ?医療費というモノの仕組みが複雑すぎて自分の取り分というものが明確でなかったことが嫌だった?…そう考えていくと僕は医療が嫌いのではなく、医療費の不透明さが嫌いなのではないだろうかと思い出した。

 

 確かにこの社会は、こうすればこれだけの利益が得られるというシンプルな構造だけではない。携帯電話の料金、電気代、ガス代、水道代など不透明な料金は山ほどある。金額を定額化できないものは大体怪しいものだ。だがその料金に対していちいち不服を言っても面倒になるだけだ。だからそれらは言い値になってしまう。

 

 このようにこの世は不透明な金の流れで一杯だ。そうすると僕は不透明な金の流れには日常より馴染んでいることがわかった。では何が嫌だったか。次に浮かんだのは自分の頭で理解できない事が嫌なのではないかということだ。

 

 僕は長い間シンプルな思考での生活を送ってきた。そのせいかその生活が絶対というところまで思考が固まっている。そうだ、コレだ。このエゴイスティックな思考こそ元凶だ。この社会は自分を通せるほど甘くはないのだ。自分を通したいのであれば「どうぞご自分で会社を作ってご自分でやって下さい」と言われるのがオチだ。

 

 医療とはもしかしたら僕の考えている社会構造ではない、また別の社会なのかもしれない。生産でも消費でもない社会。今までに経験のない社会なのかもしれない。これはいよいよ未体験の世界なのかもしれない。30歳にして未体験の世界は想像していなかったがそう考えれば理屈が通る。

 

 近頃ブログで小説を発表していたところ「新しい自分」についての記述があった。まさか自分が書いた小説に気づかされるとは思わなかった。学生時代の僕も気づいていた。このままでは必ず壊れるってことを。案の定僕は壊れた。だが人間30歳にもなるとそう簡単に変われるものではない。そこで時間をかけて今までのシンプルな生活をゆっくりと見直した。そんな中「生産と消費」という社会構造に新しい考えを一つ加えてみた。

 

「奉仕」

 

 つまり「提供者」だ。そういう考え方もあっていいのだと思う。「生産と消費と奉仕」僕の社会の見方はまた一つ複雑化したが、新しい自分を見た気持ちがする。奉仕という構造が加われば医療という選択肢も僕の未来にありうることなのかもしれない。「奉仕」良い言葉だ。医療は奉仕ではないかもしれない。だが僕が前に進むには必要な構造だ。社会の仕組みに「奉仕」が加われば医療という選択肢も受け入れられる。せっかく苦労して習得した資格なのだ。未来を切り開く原動力になってくれればと思う。

 

イビ ダイスケ

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