Daisuke Ibi / NOISE DISTRACTION CREATIVE
13
最後のセッションから、三日が過ぎた。案の定、翌日は何かと忙しく太郎の家には行けなかった。その日も「ダメだろうな」と思いながら、店に行ったところ「大丈夫だよ。行っといで」と社長が、AMラジオをチューニングしながら、大きなあくびをした。早速太郎に連絡をした所、「待ってるよ」とのことだったので、僕は準備した。
店のボロ自転車は嫌だったが、僕のは荷台が付いていないため、ミカンのダンボール箱を潰して荷台に括りつけ、仕方なく自転車に跨った。ぬるい陽が何とも心地よい。
あっ夢!二階に居た大事なキーパーソンを忘れてきたことに気づいた。太郎が残念がる…いや、そんなことより、夢がいることで良いCDを放出してくれる可能性がグっと高まるのだ。まあ、店も暇そうだったし、太郎の家に着いてから電話すりゃいいか。そんなことを考えながら、ボロ自転車を漕いだ。
自転車を止めて太郎の住むマンションを見上げた。いつ見ても立派なマンションだ。オートロックに「不登校のくせに生意気な」などとグチをこぼしながら、プレスされたミカン箱を床に置いて部屋番号を押した。ガチャっと受話器を取る音がしたので「着いたぞー」と言うと「どなたですか?」と品のある男の声がした。間違えた。そう思い「あっすいません。間違えましたー」と言うと「あっレコード屋さんですか?」と声が返ってきた。
「えっあ、そうですけど…」
「お待ちしていましたよ。どうぞ」
自動ドアが開いた。「どうぞ」は嬉しいのだが、あなたは一体…どなた?そんな疑問を持ちつつも、僕はダンボールを小脇に抱えた。
ベルを鳴らすと、すぐにドアは開いた。
「どうも、レコード屋です」
「俊太郎より聞いてますよ。どうぞ」
中年の男はスーツ姿で僕を迎えた。
「あの、こちらが伺うのもアレなんですが、どなたですか?」
訝しげに僕が尋ねると、男は落ち着いた口調で答えた。
「はじめまして。父です。俊太郎の」
「ああ、父でしたか、それは…失礼しました」
質問したことを後悔しながら、靴を脱いだ。少し考えれば分かることじゃないか。まったく、何を聞いているのやら…。
「どうぞ、散らかっていますが、座ってください」
近くにあった新聞をどけて、オヤジさんは座布団をサッと置いた。
「あ、どうも。でもCD引き取ったらすぐに、おいとましますので」
「そうですか。CD棚は奥にあるので、見てみてください」
辺りはもうほとんど片付けられていて、ガランとしている。僕は早速棚の前に立った。この棚だけが手付かずのようだった。太郎のCDコレクションがきれいに陳列されて、棚に収まっている。ざっと見た感じ三百枚位だろうか。一番上の段にツァディック・レーベルのCDがズラリと並んでいる。その下からは様々なものが入り交ざっている。この棚はまだ引越しの荒波に呑まれていないようだ。……で?これをどうしろと?まさか、これ全部ってことは無いだろう。CDの間に仕切りや印が無いか見回したが、見当たらない。奥でお湯を沸かし始めているオヤジさんへ声を掛けようと僕は振り返ったが、先ほどのこともあったせいだろう。踏みとどまって、腕を組んで少し考えた。全部もらっちまうか。いや流石にこれ全部持っていったら太郎も怒るだろう。
「すいません」
「はい?」
「太郎君は何か言ってませんでしたか?このCDは売るヤツとか…」
「さあ、聞いてませんね。入れ違えでコンビニに行ってしまったので…すぐに戻ると思うので…お茶でも、どうぞ」
床に湯飲みを二つ置いて、ティーパックを入れて、ゆっくりとお湯を注ぎだした。
まだまだ残暑が居座っていたが、今日はまだ、幾らか涼しい。座布団にあぐらで座りながら、湯気立ち上る緑茶をすすって太郎の帰りを待った。
「佐伯さんでよかったですか?」
オヤジさんは丁寧な口調で聞いてきた。
「えっ?はい。僕は佐伯ですが」
「突然すみません。俊太郎から話を伺っていたものですから、一度話してみたいなぁと思っていたんですよ」
「はっ?そう…ですか?」
「もうレコード屋さんは長いのですか」
「えっ、ええ…まぁ」
突然の振りに戸惑いながら、僕は何か話したそうなオヤジさんの目をチラっと見てから、目線を湯飲みへ落とした。
「…あれは勝手に学校辞めてしまいまして…家内は呆れてましたがね。私は良かったと思っているのですよ。俊太郎は気難しいというか…、どこか影があるというか…、そんな風だったのですが、最近になって少し明るくなった気がしたので、何かあったのかと聞いてみたところ、あなたの話が出てきたものですから、どんな方かと思いましてね」
「えっ?そうだったんですか。全然感じませんでしたね。で僕の話っていうのは?」
「初めて話の通じる人に逢ったと、言っていました」
「音楽の話で、ですかね?」
「さあ、そこまでは…、でも俊太郎も音楽が好きですから、恐らくは」
「なるほど、でもそれは分かる気がします。僕も音楽の趣味がストイックに…いや夢中になり過ぎて、話が周囲と合わなかった時がありました」
「俊太郎の音楽の趣味はそんなに変わっているのですか?」
「えっ、まぁ、普通ではないと思いますよ」
「それであなたと…いや、失礼。話が合った訳ですね」
「こういった音楽を好む人は少ないですからね。同じような趣向を持った人と逢えると結構嬉しいものなのですよ。僕もこのレコード屋で働けてラッキーでしたよ」
全然気にしてませんよ、と僕は笑顔で答えた。
「そうでしたか。俊太郎があなたの話を楽しそうに話してくれたものですから」
「ああ、僕も楽しい時間でしたね。だから…お互い様です」
「ありがとう。何だか俊太郎が元気になった気がしますよ。本当は大学でそういう出会いがあることを親としては望んでいたのですが…いや、場所なんて、どうでも良いですよね」
「そうですよ。要は健康であれば、後はどうとでもなりますからね」
僕は妙な感謝を受けたことに戸惑いながら、お茶を飲み干した。オヤジさんは「その通りですね」と笑った。
あいつ大学辞めてたんだ。思わぬところで太郎の過去を聞いてしまったが、今更だった。ふと窓越しの空へ視線をやった。聞かずとも大体は分かっていた気がした。どこかで同じような事を経験していたからこそ、僕らは分かり合えたのだろう。恐らく学校を辞めて友達の家に入り浸り、「感性が同化しているのでは?」などと考えていた僕も他所からは『影のある気難しい奴』に見えていたのだろう。だが当の本人は他人の印象など何処吹く風で、頭を曇らせながらも案外楽しく毎日を過ごしていた。この『周囲とのギャップ』が太郎との共有できる経験だと、僕は直感した。同じだったとは思わないが、太郎は太郎なりに自分にとって何が楽しいことなのかを探していたのだと思う。確かに周りからは『気難しい』ように見えたかもしれないが、音楽と接した時に『ひょっとしてこれは楽しいのでは?』という予感めいたものが太郎に走ったのではないだろうか……
いやいや、違う。やめよう。僕は突っ走り始めた妄想を停止させた。それは中退後、友達の家でギターを爪弾きながら俺が感じたことじゃねぇか。勝手に自分と重ねるなってんだ。どうした俺。それにしてもあいつ遅ぇな。何処まで行ったんだか。
それからもオヤジさんは不思議なほど丁寧な口調で地元である小樽の話した。
「運河は見たことありますか?」
「ええ、小樽には父の実家あるんですよ。小さい頃はよく遊びに行きました」
そんな話しをしながら、何気に辺りを見回したが時計はすでに片付けられたのか見当たらなかった。僕はソワソワしながら太郎の帰りを待った。
「ただいま」
ドアが開き、力ない声が聞こえたのは三杯目のお茶を頂いている頃だった。
「あっ薫さん、お待たせ」
ぶら下げたビニールの中でバナナが一房揺れている。
「随分かかったな。どこのコンビニ行ってたの?」
「すぐそこのだよ。それよりCDでしょ?」
「ん?あっそうだな」
バナナの袋をぶら下げたまま、オヤジさんと目も合わせずに棚のある部屋へと入った太郎を追うように、僕は体を捻り、立ち上がった。
棚の前に立ち、グルリと眺めた太郎は、大きく溜め息をついてから、一番上のツァディックのCD二~三十枚を抜き出して床にそっと積み上げた。
「後は良いよ」
「……えっ全部?」
「そう、全部」
僕は棚を見た。結構な数のCDがズラリとある。ぱっと見た感じではメジャーなものから古典、ジャズ、アヴァンギャルドなど様々だ。無理してんじゃねぇのか?とも思ったが、せっかく全部売ってくれるというのだ。気が変わらないうちに貰っちまおう。僕はさっそく数枚抜き取って、査定にかかった。
棚のCDは次々と用意したミカン箱に収められていった。作業をしていく内に気づいたのはこれらは殆どがうちの店で買ったもののような気がしてきた。太郎は袋からバナナを取り出してモサモサと食べ始めた。「食べる?」と奨められたが断った。
「スピッツは取っといたら?」
「ベスト盤あるし、アルバムの好きな曲はパソコンに入ってるから持ってっていいよ」
少し寂しい感じもしたが、スピッツは基本在庫として欲しい。「そうかい?」僕はそう言って、そっとミカン箱に収めた。
「はい、おしまい」
ダンボールを閉じて一息ついてから、太郎の膝元にあるバナナの房から一本むしり取った。
「お前、良いヤツ抜ただろ?」
皮をむきながら、ミカン箱を目で合図して僕は言った。
「あれ?バレた」
太郎は笑ってバナナをほうばった。
「随分潔いなと思ったらよぉ」
「そこ狙ってたんだけどな。潔く『全部持ってって』みたいなさ」
「でも本当に良いのか?結構貰った気がするけどさ」
「いいよ。河林堂には世話になったし、ていうか殆ど御宅で買ったものだしね。大事なやつはちゃんと抜いといたし、俺はもうたっぷり楽しんだしね。キャッチ・アンド・リリースみたいなもんさ」
「上手い事言うな」
バナナをモサモサと食べながら僕が言うと、太郎は隣の部屋で新聞を読んでいるオヤジさんをチラッと気にしてから、バナナを食べ終えた。
「薫さんさぁ。いつまで居るの?」
「ああ?コレ食ったら帰るよ」
「そうじゃなくて、河林堂にさ」
「ええ?ああ、そっちね。分かんないけどまだ当分の間は居ると思うけど、何で?」
「いやさ。また今度、俺みたいなヤツが行ったら薫さんなら仲良くなれると思うんだ。だから少しでも長くあそこに居て欲しいなって思ってさ」
「何だそりゃ。俺はそんなに社交的じゃないぞ」
「でも稀だと思うよ。何たって俺と話が合ったんだから」
「類は友を呼ぶってやつさ。俺もお前も趣味が変わってるからなぁ。だけど趣味と同じレベルでそいつのクセとか行動とかを見てみろよ。人は皆変わってるよ」
「そうなんだよなぁ…。薫さんやっぱ…最高だわ」腕を組みながら太郎は言った。
「たまには言うよ?こういうこともさ」
「でもさ、そういう変わってる部分を個性っていうんじゃないの?」
「その個性を上手く乗りこなせるならいいけど…、足元掬われんなよ。個性ってのは飛行石みたいでさ、いつの間にかそいつを浮足立たせっちまうからな。そんな地に足の着いてないフワフワ状態で周りと上手くやってけるだけの腕は…、お前には無ぇな。まぁ、俺にも無いけどな。だから簡単に自分を個性的だなんて思うなよ。あくまで『周りとは違う趣味を持っている』程度に留めておくのが正解だと思うね」
「なるほどねぇ。でもやっぱり個性って大事だと思うけどな」
「大事なら大事にすればいい。まぁ何だ。何事も程々にって話だよ。それが上手く調和を保つコツ…だと思う」
言っていて『はて?お前は何様?』という冷めた客観を時折感じながらも、『特別な趣味を持っているからといって周りを遠ざける必要はないんだ』ということを不思議な勢いまかせに語りきった。僕はバクバクとバナナを食べきって、皮をビニール袋へ入れた。
「何か説教っぽくなっちまったな」
「『ぽく』じゃなくて説教だったよ」
すまん。と僕は謝った。
「いやぁ、良かったよ。最後に薫さんに会えてさ」
「最後?」
「そう、今日帰るんだよ。俺」
あっ、僕はガランとした部屋を見回して、自分の中の『不思議な勢い』の訳に気づいた。
「そう…なの?…てことは今だよな。そりゃあ最後だよなぁ、…急だな」
「そう、薫さんと一緒にこの部屋ともおさらばさ」
「いやさ、俺も随分殺風景だとは思ってたんだよね…」
「まぁ、そういう訳さ…」
太郎は立ち上がり、ビニール袋を持ってオヤジさんの方へ向かった。
「もういいのかい?」
バナナの皮が入った袋を受け取ってオヤジさんが言った。太郎が何か言うと、オヤジさんは僕に会釈して部屋を出て行った。
「じゃあそろそろ俺も帰るかな」
「そっか、仕事中だもんね。じゃあ出ますか」
よっ、と太郎はミカン箱を一つ抱えた。
「あの棚ってどうすんの?」
エレベーターを待ちながら僕は太郎に聞いた。
「ここの大家さんが親父と友達でさ。置いてっていいって」
「そうなんだ。そういやオヤジさん、何か、随分丁寧な人だな」
「前はさ、ああいう親との距離のとり方が分かんなかったんだよ」
「何で自分の親と距離をとる必要があるんだよ」
「ガキの頃から仕事仕事でさ、あんまり家に居なかったんだよ。だからかなぁ『家族』って感じがしなくなっちゃってさ。高校入ってからかなぁ、ちゃんと話ができたのって。そんなんだったから、いつの間にか距離感覚分かんなくなっちゃってさ」
「へぇ、今そんな感じ全然しないけどな」
「今みたいに変わったのって最近なんだよ。まぁあれで土建屋の社長だからさ」
「マジで?社長かよ」
「まだ分かんないけど、帰ったら親父の仕事手伝おうかなって思ってんだ」
「スゲーなお前、社長のご子息だったのかよ。そりゃ、親父さん大事にしないとな」
「そう言うと思ったよ。でも薫さん。分かってるならたまには会いに行ったら?そう言う薫さんが一番距離をとってる気がするよ」
カウンター・パンチが飛んできた。それまであまりに真っ当なことを言っていたので反動は大きかった。確かになぁ…、俺は実践してないもんなぁ。…伴っていないものなぁ。
今まで話してた偉そうな事が途端に恥ずかしくなってきた。僕は到着したエレベーターに乗り込み、適当にはぐらかしながら、話題を強引に小樽の話に変えて、動揺の収まりを待った。
外ではオヤジさんが玄関先に車を止めて待っていた。
「じゃあね。また…って言っても、次は何時会えるか分かんないね」
「時間できたら、また遊ぼう」
太郎は車に乗り込むと窓を開けて手を差し出してきた。多少の照れくささを感じながらも、僕らは握手した。
「薫さん、元気でね」
「お前もな」
オヤジさんは僕にペコリと頭を下げてから車は発進した。僕は車が見えなくなるまでマンションの玄関口で時折手を振りながら、太郎を見送った。
ん?あっ、金!
そう思った瞬間に僕は駆け出したが、時すでに遅し。僕は買い取り金額である一万五千円を渡しそびれ、遥か遠く、向こうに小さくなっていく車の背を見ながら途方に暮れた。
ダンボールを括りつけたボロ自転車をノロノロ押しながら店へと歩いた。夕闇が辺りに薄っすらと降り始める道すがら、僕は太郎のカウンター・パンチを思い返した。
「そうだよなぁ、俺も帰るかなぁ」
金の事は後で連絡しよう。荷台のCDをカタカタ揺らしながら、見上げた空に何とも切なく、月が光っている。
「ああ!カオリン!遅い!私置いてったでしょう。いやそれは置いといて…、太郎ちゃんがね。帰るって!」
店に着くと夢が興奮気味に駆け寄ってきた。
「知ってるよ。今太郎の家行ってきたんだから。それより夢は、何で知ってんの?」
「さっき来たのよ。『今日帰るから』って」
あの野郎…夢に会いに行ってたのか。道理で遅いわけだ。僕は納得しながらミカン箱をカウンター内に運んだ。
「太郎、何か言ってた?」
僕はカウンター奥で一服点けながら夢に訊いた。
「別に、コレといったことは…、元気でねって…」
そう言って夢は目をミカン箱へ向けて固まっていた。
「見ればいいじゃん。太郎の置き土産だ」
「そう?いいの?じゃあ…」
夢はしゃがみ込んでミカン箱を開いた。僕は換気扇に巻き込まれていく煙をぼんやり眺めていた。
「あっ、これ買っていい?」
ミカン箱を物色しながら、夢はハービー・ハンコック『セクスタント』のCDをこちらへ振った。
「いいよ。結構色々あるだろ」
煙草を揉み消して、僕は夢の前にしゃがんだ。
「そうね。見応えがあるわ」
「以外とジャズ系が多いんだよ。でもさ…ちょっと洒落過ぎてない?」
「そうね、こんなにお洒落じゃないよね」
客のいない一階に、そっと笑い声が響いた。太郎をからかいながら、僕は札幌に来て初めて、父に会いに行こうかと思い始めた。
しばらく夢と話していると、こちらに足早に向かってくる音が聞こえた。しゃがんだままで首を伸ばすと、足音はすぐにカウンターの前で止まった。
「おい!太郎帰るって!」
驚きを隠す様子もなく、敏夫がカウンターから身を乗り出して言った。
「お前は、何で知ってんの?」
「いや、さっき…さっき家に来たんだよ…って、あっここにも来たか!」
僕は太郎の律儀な人柄に感心しながら、敏夫に一部始終を話した。