Daisuke Ibi / NOISE DISTRACTION CREATIVE
5
「敏さん驚くかなぁ」のようなことに「どうだかなぁ」と何度も相槌を打ちながら夜道を歩いた。その度に昼間の一件が口から出かかったがやはり喉で痞えてしまった。下手に言ってこの後敏夫との間に、何度も痞える内に上手い笑い話にする自信が失せてしまった。僕が言うのはどこかおかしい気さえしてきた。
「電気点いてる」太郎は敏夫の部屋を指差して言った。
「俺ジュース買ってくから、先行ってて」
自販機からゴロリと出てきたコーラを取り出すと、二階の方で何やら声がした。僕は一度部屋に戻り、カバンを置いてから敏夫の部屋へ向かった。
「おじゃましま~す」ノックせずにドアを開けた。
「おう、太郎来てるぞ」僕の手に握ったコーラを見ながら敏夫は言った。
「これは俺が飲むんだ」
「まぁ上がれよ」
あちこちにカスタネットやら鈴やら、セミパッチンやら、小さい楽器が散らばっている。太郎はスペースを作りすでに足を伸ばしてくつろいでいた。
「あれ?俺のギターは?」
「おう太郎、足どけろ」
僕の声を無視して、敏夫は足を引っ込めた太郎を跨ぐと台所の下をガサゴソし始めた。太郎は僕のコーラを開け、敏夫が持ってきた紙コップに注ぎだした。
「コラコラコラ、何やってんだよ」
「まぁよ、いいじゃねぇか」
ドクドクと、僕のコーラは三等分されていった。
「じゃあ、お疲れさん」
敏夫の平坦な声で、僕らはそれぞれ紙コップを取った。
「何で今日は太郎が一緒なの?」煙草を燻らせながら敏夫が言った
「店に来たからだけど…なぁ?」
太郎に「言え」と促した。引っ込めた足をゆっくりと伸ばしながら太郎は口を開いた。
「俺、帰ろうと思ってさ」
「ああ?お前もか」
「“も”って?」
「俺も帰んだよ」
嘘!と太郎が言うと二人は顔を見合わせた後、ゆっくりと僕の顔を見た。
「何?」僕がそう言うと敏夫は無言で背中をバンッと叩いた。
「何だよ」
「いや、別に。それよりお前夢には言ったか?」煙草をもみ消しながら敏夫は言った。
「えっ、言ってないけど…何で?」
太郎がそう言うと敏夫はニヤリと笑った。それを見た僕は傍にあった携帯をサッと投げた。敏夫は受け取るとあっと言う間に掛けだした。
「何?」
「何?って決まってんだろ」敏夫を見ながら僕は言った。
「あっ、もしもし夢?今家で皆で集まってっから来ない?久々に結構盛り上がってんだけどさぁ…」
途端に太郎は敏夫の方へ素早く顔を向けた。それから浮かべた嬉しんだか嫌がってんだか分からない、ふいをつかれた表情に僕は笑った。
「何さ」
「いや、おもしれぇなって、で、来るの?」電話を切った敏夫に僕は聞いた。
「気が向いたら来るってさ」
「よし!じゃあ気ぃ向かせにお前迎えに行って来い」
煙草をくわえながら僕は太郎の背中をポンと叩いた。
「何で俺なんだよ」
「言わせんなよ」
僕が言うと太郎は秘めていたつもりの想いが見透かされていたことと、突然からかわれたことで口を尖らせたり、眉間にシワを寄せたり、頬を膨らませたりと何とも落ち着かない表情で僕と敏夫を交互に見た。
「いつ分かったの」
「一年前から知ってるよ」
そう言って僕が煙草に火を点けると、ウソ~と太郎は天井を見上げた。
「ほらっ、早く行け」
敏夫は顎でドアの方をしゃくった。嫌々な素振りを見せ、気だるそうに太郎は立ち上がったが、靴を履き玄関を出て行く横顔は嬉しそうに見えた。
フリーターだらけの僕らの中で太郎は唯一の学生だったが、知り合った頃にはもう通っている様子は無く、バイトもせず親の仕送りで生活していた。何故学校に行かないのかは聞かなかった。僕、敏夫、夢、美雪は皆高校中退者だったが、奇遇にも皆大検を取っていた。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。しかしスクール・エスケーパー経験があるからといって太郎の気持ちを察せる訳は無い。それとなく「大丈夫なの?」「行った方がいいんじゃない?」「バイト探せよ」など言ってはみたが変化はみられず、たまに河林堂の出張買取や店の整理をボランティアで手伝ったりする程度だった。帰るということは学校も辞めるってことか。親は悲しむだろうなぁ…でも喜んでるって言ってたな…。
大学は辞めるが行っていないなら帰って来てくれた方がいいってことかぁ。僕はその複雑な親の心境を思いながら、自分が高校を辞めた時のことをふと、振り返った。
「わかりやすい奴だ」敏夫がドアを見ながら言った。
「夢がどう出るかね」
「う~ん、でもあいつ帰るってのにどうすんだろな?」
無責任そうに煙を吐き出しながら敏夫は言った。
「恋は盲目なんだよ。先の事なんて考える訳ねぇじゃん」
僕もコーラを飲みながら太郎の恋路の行方に心を躍らせた。
夢は整った顔立ちで読書好きな、一見すると大人しそうで、ちょっと可愛らしいメガネっ娘だったが、好きな音楽を聞いた時にその印象は覆った。
「ジェリー・ガルシアが大好きです」
へぇ。と、まぁ最近はデッド・ベアというグレイトフル・デッドのマスコットである熊のぬいぐるみをよく目にするから、そっから引っ張ってきてるのだろう。あまり深くは聞かないほうがいいな。カワイイ奴だ。そう思ったのだが、そんな僕の舐めた空気を察したのか夢は続けた。
「最近はディックス・ピックスばかり聴いてます」
「ディックス…て、あの海賊盤みたいなやつ?」
「でも音は良いですよ。今度貸しましょうか?」
「えっ…うん、ありがとう…」
その後の話でオリジナル・アルバムは、CDは全部持っていて、ジャケットが気に入ったものはレコードも集めているようだった。デッド・ベアも二十体ほど持っているが、それはあくまで『ジェリー・ガルシアのバンドのマスコット』だからだそうだ。
「あの人形、今何体出てるか知ってる?」
「五十九種類でしょ。熊が五十七、亀が二種類」
ああ…そうだね。僕はグレイトフル・デッドの知識を総動員して会話を何とか繋げていたが、熱っぽく、身振り手振りジェリー・ガルシアを語る夢に圧倒されっぱなしだった。
「あの空気を自分で出せないかなぁと思って曲も作ってるんですよ。でも難しい」
「へぇぇ…、今度聴かせてよ」
はい、是非。と言った翌日に夢は自作曲のMDを持ってきた。ピアノとフェンダー・ローズのようなエレピが緩やかに絡み合う曲だった。こう来たか。真正面からジェリーをコピーするのではなく、自分が感じた音の空気を思うがままに表現しているように思えた。それは僕がジェリーのギターに抱いていた漠然としたイメージと重なり、嬉しくなってリピートで何度も聴いた。そして翌日、夢をバンドに誘った。
「…で、今日はあの後どうなった?」
太郎の恋話も詰まってきた頃、僕は今日の本題を切り出した。
「ん?ああ…、凄かったよ。多分想像の通り」
ククッと笑う僕をどこか悲しそうに見てから、敏夫は立ち上がった。
「そっかぁ、そいつぁ見たかったねぇ」
そう言いながら煙草をもみ消していると、備え付けの収納棚の前に立った敏夫は静かに取っ手を引いて、中から大事そうに気味の悪い銀色の塊をゆっくりと取り出して、僕の前にそっと置いた。
「何コレ?オブジェ?」
僕の前で敏夫はその塊を飾り立てるように無言で整えていた。よしっ、出来上がったのか敏夫は手を後ろについて言った。
「じゃあ、返すよコレ」
「えっ」
「いや俺もう帰るし、コレ…借りてたギター」
「はっ?」
思わず目を見開きその塊へ身を乗り出した。いびつなドーム状を形造っている銀色はボディの破片と思われる木材を土台に丁寧に巻かれた弦だった。その隙間からピックアップがゴロリと横たわっているのが見えた。ドームの所々からデロリとはみ出している電線が妙な生々しさを醸しだしている。しかしあまりにコンパクトだ。残りのパーツは…
「ああ、ネックとか、ボディとかは捨てっちまったぁ、はは…」
僕はしばらく呆然とオブジェのようになったギターをまじまじと見ていた。するとその内何だかわからない笑いが込み上げてきた。このギターはすでに壊れていてまともな音は鳴らなかったが、何とも言いがたいノイズを出すのでとっておいたものだった。
「まぁ、壊れてたしね」
「だろ?」
「でももうあの強烈なギュワギュワ音は聴けないってことだな」
「俺と太郎がいなくなればバンドは解散だしさ」
「だから何だってんだ。これ…このギターにはなぁ、思い出とか結構あんだぞ!普通だったら弁償だ」
「そんな物騒な事言うなや。そう思って俺もこうして一生懸命形を整え…、だいたいお前が美雪とのいざこざを見たかったなんて言うから出してやったんだぞ」
敏夫は明らかな焦りを見せて、声を荒げた。
「何でお前がキレんだよ」
「バッカお前、ドラえもんの映画でな、しずかちゃんはネジ一本でバギーちゃんの事を思い出してたぞ。それに比べてみろよ。随分残ってんじゃん」
とんでもないへ理屈をまくし立てる敏夫とオブジェを半笑いで交互に見ながら「海底鬼岩城かぁ」と呟いて僕はしずかちゃんの心境に思いを馳せながら、二人の喧嘩の壮絶っぷりにため息をついた。
「それで、美雪とケジメはついたの?」
視線をオブジェに止めて、言い訳マシーンと化していた敏夫の声を遮った。
「一応こっちの都合は言ったけど、納得してくれたかはわかんねぇ」
腕を組みオブジェを見ながら敏夫が言うと、外から太郎と夢の声がした。
「おっ来たな」
僕はコーラをグッと飲み干した。
「はい、おまたせ~」太郎はお菓子やらジュースやらの入ったビニール袋を下げて入ってきた。その後ろから「どうも」と夢が顔を覗かせた。
「コンビニで適当に見繕ってきたよ」
太郎は袋を敏夫に渡しながら言った。
「おお!サンキュー!」
「サンキューじゃないわよ。帰るんだって?」
夢は細かな楽器類を除けながら座るスペースを確保していた。
「カオリンは知ってたの?」
「俺も昨日聞いたんだよ」
「まぁ、そういう事だ」
敏夫は袋をガサゴソ物色しサイダーを太郎に渡しながら言った。
「バンドも終わりってこと?」
夢は自分の紙コップを取り、前に置いた。
「そうなるな。まぁ、やりたいことはやったしな。もう思い残すこともない」
「残った二人で何かやればいいじゃん」
太郎はそれぞれの紙コップにサイダーを注ぎだした。
「え~、二人じゃつまんなよ。きっと」
僕もそんな気がして頷いていた。確かにボンヤリとした曖昧な空気を作ることは僕ら二人でもできるが、刺激が無い。やってもすぐに飽きてしまうだろう。僕はバンドの楽しみを刺激に見出していた。音像が過激だったり、不思議だったり、混乱していたりというような、非日常的な何かを探りながら作り上げていく過程が楽しかった。バンドを組んだのは中学以来だったせいか、素直にバンドが出す大音量に酔いしれる感じも、僕には楽しくも、どこか懐かしい時間でもあった。
「でもさ、お前ら本当は寂しかったりするんじゃねぇの?」僕はからかい半分に言った。
「別に」敏夫と太郎は各々に笑って、そう言い切った。
「寂しいの?大丈夫よ。私は居るんだから」
「いや、俺は別れは惜しまない性分だけどさ。あんまりにも淡白過ぎねぇか」
気持ちが何だかおかしな方向に向かっている気がした。しかし『寂しい』というキーワードを言ってしまった手前、後に引けなくなった僕は、強がった。
「出会いは一期一会だぞ」
今朝は泣きそうになりながら、しんみりと飲んだくれていた男はそう言いながら、紙コップをそれぞれに配った。
「一先ず乾杯だ。え~と何にするか…」
敏夫はコップを持ったまま首をひねった。僕らはそれぞれコップを取って敏夫の言葉を待った。
「じゃあ俺等の音楽の終わりに」
間に耐えられなくなった太郎の言葉に、僕の中で何かがゆっくりと足掻いた。
「終わりじゃねぇだろう。ちょっと待てよ…」
音頭にこだわる敏夫の素早い否定に、その足掻きは少し弱まった。
「二人の門出に、でいいじゃない」
夢はオブジェを足で小突きながらコップを掲げた。続いて敏夫と太郎もコップを掲げたが、僕はオブジェをじっと見たまま、固まっていた。
「どうした?」敏夫の声と共に夢と太郎の視線が届いた。
「ん?えっ、ああ、ごめん。乾杯!」
僕はコップを掲げサイダーをグッと飲み込み、ゲホゲホと咽た。
話は夜を越えて、朝方まで続いた。知り合ってたった三年の仲だったが、話は尽きなかった。いつの間にか僕もその輪に加わり、笑っていた。やがて灰皿は一杯になり、皆が横になった頃、僕はそっとオブジェに手を伸ばし、最早ただの鉄の棒と化したピックアップを銀色のドームから取り出した。思えばこのオブジェは初めて手に入れたエレキ・ギターだった。中学の時、父の知り合いから五千円で買ったやつだ。だからといって特別な愛着があったわけでもないし、何せこうなってしまってはもう仕方がない。そう思いながらピックアップを握るとふと、足掻いた「何か」の正体がボンヤリと浮かんだが眠気がその像を暈した。まぁ、その内分かるだろう。僕は解明を諦めて、壁にもたれて目を閉じた。