Daisuke Ibi / NOISE DISTRACTION CREATIVE
22
窓に雪が当たってピタリと張り付いた。真っ白に染まった人が足早にその景色を横切る。身震いしながらカウンター奥でレコードを選んでいると内線が鳴った。
「まだ降ってる?」
「ああ、でも今はまだ穏やかだよ」
「じゃあそろそろ帰ろっかなぁ」
「そうだな。この大雪だ。吹雪いたら洒落になんねぇぞ」
「そうだね……、あっそうだ。今度いつスタジオ行こっか」
「いつでもいいよ。適当な時誘って、大体暇だから」
わかったよ。夢は内線を切った。こんな天気にも関わらず一階は五人のお客さんが入っていた。しかもそれぞれが目的を持ってきている人っぽく、小脇にレコードを抱えている。そしてまた一人、コートを真っ白にしたお客さんが真冬の寒風と共にやってきた。
「いらっしゃいませ」
これは今年調子良いんじゃねぇ?正月早々、華やいだ店内を満足げに眺めてから、僕は黙々と商品化に精を出した。
いつの間にか店先から正月飾りが消えていた。
「お疲れ様です」
木漏れ日が暖かに揺れている店内は、また閑古鳥が鳴いていた。いつもの風景だ。僕はどこかホッとしながら客のいないフロアーを抜けて、社長のいるカウンターに入った。
「あと二週間だね」
奥で商品化のレコードを選んでいると、パイプ椅子に座りながらストーブに向かう社長は相変わらずのノールックで呟いた。
「えっ何がっすか?」
「竹賀谷君が辞めるまで」
「…はっ?」
僕は驚きのあまり社長としばらく向き合った。
「えっ夢辞めるんですか?」
「そうだよ。京都に行くとか」
大きく深呼吸した。あまりに突然のトピックに僕は動揺を隠せなかった。
「えっと、それって何時の…、えっ…決定事項ですか?」
「去年の年末に言ってきたよ」
「マジっすか?夢いなくなったら、本のこととか…」
「辞めるって人を止める権利はないでしょ?」
社長はようやく振り返り、メガネの上から僕を覗いた。僕は蛇に睨まれたように、その場に固まった。
「じゃあ後まかせたよ」
社長は席を立ちオーバーを羽織ると、またどこかへと行ってしまった。それを見届けてから僕はすぐに携帯を取り出した。すぐに連絡しようとメモリーを見つめながら、僕はふと我に帰った。落ち着け。そう自分に言いきかせ、僕は携帯を置いて仕事に戻った。
雪を踏みしめながら夜道をゆっくり歩いた。
自宅に着くと僕は深呼吸を一つして、告白する時のようにドキドキしながら携帯を眺めた。
「よし…今日は…、辞めよう」
もう遅いし、夢だって寝てるだろうし、何たって頭が冷静じゃないし…。
僕はベッドに転がって、色々考えているうちに、そのまま眠りに落ちた。
翌日、起きてすぐ、早速迷ったが、取り合えず目に付いたギターを掃除することにした。夢は今日出番だ。ついでに…僕はテレビを拭いた。じゃあついでに棚も…、トイレも…と、僕は次々と部屋をクリーニングしていった。
掃除を一通り終え、心地よい疲れの中、睡魔が優しく僕をベッドに沈めた。
目覚めるとすでに部屋は真っ暗だった。起き上がりしばらく朦朧としてから、カーテンを閉めにベッドから這い出た。電気の線を引っ張るとそれに呼応するように携帯が鳴った。夢からだった。
「社長から聞いた?」
のっけから夢は本題を突きつけてきた。
「ん?ああ…辞めんの?」
寝ぼけ頭の僕は完全に不意を突かれた。ストーブをつけて、また布団に包まりながら僕は一先ず寒さを防いだ。
「うん、やっぱり行こうと思って、京都」
「そうかぁ、ああ…いよいよ本当に一人かぁ」
「ゴメンね。でも決めたのよ」
「いや止める気はないよ。夢の人生だ。思った通りが正解なのさ」
そう言うと、しばらく夢は黙り込んだ。僕は携帯を耳に当てたまま、お湯を沸かしに向かった。
「……最近さ、よく考えるのよ。私達って何だったんだろうって」
「バンドのこと?」
やかんに水を入れながら僕は訊いた。
「そう、で結論はね。皆さ、『新しい自分』を知りたかったんじゃないかって思ったの」
新しい自分?何の話だ?やかん内を跳ねる水の音が音声を遮り、よく聞こえなかった。僕は水を止めて黙って次の展開を待った。
「だってそうでしょ?ライブもやらない。他のバンドとの接点もない。ただ黙々とセッションっていうスタイルって振り返ると相当ストイックよ」
「ああ確かになぁ」
「太郎ちゃんも敏さんもきっと『新しい自分』を見つけたのよ。私はね、カオリン…。最近二人になったじゃない?そこで改めて思ったのよ…何て言うか、新鮮味がない…っていうか、新しさが見えないの」
「そりゃ、長年一緒にやってりゃ新鮮ではなくなるだろうよ」
「いや私が言いたいのはね……、私が飽きたのと同じように、カオリンも飽きてない?何か最近、創造のベクトルが音楽に向いていない気がする」
「飽きてる?っちゃあ…うん、まぁそうかなぁ」
僕の寝ぼけ頭は未だ、まな板の上の鯉姿勢を続けていた。
「やっぱりね。それじゃ『新しい自分』なんて見えないのよ」
「でも別に俺は『新しい自分』なんて…」
「今私、ぶっちゃけて話してるの。白けるようなこと言わないでね」
夢は怒りながらも冷静に話し続けた。
「カオリン。私だって楽しく音楽やりたいわよ。でも『楽しい音楽』なんて、もう無理でしょ。音楽を創造的に楽しめる時期って本当に短いのよ」
「その根拠は何だ」
「経験とか知識、…感情とかが、純粋な楽しみを邪魔するのよ」
「でもジェリーはその点メチャクチャ豊かじゃない?」
「ジェリーは別よ。天才だもの」
「じゃあ、天才になりゃいいじゃねぇか」
「ああ…そういうの…白けるわ」
夢の溜め息混じりの冷めた返答に、僕の頭は次第に目覚めていった。
「あのさ、俺はさっき飽きてるって言ったけど、それは今のスタイルに飽きてきているんであって、夢にって訳でも、音楽にって訳でもないよ。もっと別の付き合い方があるんじゃないかって思ってるんだ」
「別の付き合い方?」
「そう、今はレコード屋でバイトしているおかげで、音楽に不自由ないじゃん。でも最近は音楽が身近な生活が当たり前でさ、何かね、マンネリ化してる気がすんだよ」
「マンネリ…」
「そう、だから全然違う生活に身をおいてさ、今一度自分にとって音楽って何なのか、探ってみたいって…思っていたりするよ」
「思ってるだけじゃ駄目よ。行動に移さなきゃ」
「そうだなぁ、俺くらいの年齢のやつって何してんだろうな?」
「二十三でしょ?フリーターが多いんじゃない?それに他人と比べるのは良くないよ。いいじゃんカオリンは、カオリンで」
「そういうの白けるんじゃないのか?」
「じゃあ言わせて貰うけど、それはつまり音楽から離れたいって事?」
「離れる?…ああ…それも一つの手だな」
「それは…無理よ」
「何で?」
「あっごめん、何か音楽から離れたカオリンって想像できなかったから」
「何だそりゃ」
笑いながら僕はやかんをストーブの上に置いてベッドに腰かけた。
「さっきさ、経験やら知識やらは音楽を楽しむ妨げになるって言ってたけどさ、俺はそうは思わねぇな。俺はさ、そういうのひっくるめて音楽は味わい深くなってくもんだと思うんだけどなぁ。それって結構楽しいことじゃない?聞き手然り、奏者然りさ。だって夢の考え方だったら、天才か赤ちゃんしか音楽を楽しめないってことにならない?」
「それは…そうだけど…」
その声のトーンから、夢が本心ではなく、勢いで言っていたことが何となく伝わってきた。僕は数百枚のCDが並ぶ棚を目で撫でた。
「夢が言う『新しい自分』ってのが何なのか、俺にはよくわかんないけどさ、何にせよ、求めるものへのカギを握っているのは、『変化』だと思うんだよ」
僕の脳裏にふと、父の姿が浮かんだ。しかも死神バージョンだ。一瞬空を見てから、僕は続けた。
「だから、俺は新天地での夢を応援するよ」
「……ありがとう」
「あっそうだ、行く時は教えろよ。どっかのアホみたいなのは無しだ」
「うん、わかった。何かごめんね、変なこと言っちゃって」
「貸しにしとくよ。あっ京都行ったら八橋送って」
「安っい貸しね」
煙草を取って一服しながら、僕は夢の笑い声を聞いていた。
それからは夢が去った後の河林堂についての話に花が咲いた。そうしている内にやかんがシャーシャーと騒ぎ始めた。
「じゃあ、そろそろ切るぞ」
「あっ、ねぇ。カオリンって好きな人いるの?」
「ん?何?」
「いいじゃん。ねぇ、いるの?」
「……わからん」
「わかんない?」
「うん、暫く色恋から遠ざかっているせいか、その辺麻痺してるのかな?」
「誰かを好きになる感覚がわかんないってこと?」
「どうなんだろう?」
「まぁ何でもいいわ。恋愛の楽しさって人それぞれだろうし。ごめんね。変なこと聞いて」
そう言って一方的にブチっと電話は切れた。目の前ではヤカンがグツグツと湧いていた。
翌日、店にはいつも通り、夢が二階カウンターのパソコンに向かっていた。僕は昨夜の内に太郎に連絡を入れた。見送りにくるかと訊いたが、仕事があるとかで行けるかわからないとのことだった。
「太郎来れるかわかんないってさ」
「仕方ないじゃない。忙しいだろうし」
「でもさぁ…」
「カオリン、見て分かるでしょ。私も今忙しいの辞めるまでにオークションに出しておきたいものがたくさんあるのよ」
夢は本の山を指差して饒舌に言い切ると、すぐまたパソコンに目を戻した。僕はソロリとカウンターを抜けて、静かに階段を降りた。