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 『竹賀谷』の表札の前に僕はケーキを持って立っていた。いつ見ても変わった名字だ。玄関前で大きなくしゃみに見舞われた。僕は鼻をすすりながらブザーに指を伸ばした。

「早いわね」

ブザーを押すと、すぐに夢はドアを開けた。

「ちゃんと確認しろよ」

「わかるわよ。時間通りじゃない。上がって」

僕はちらりとケーキを見てから靴を脱いだ。

 

 部屋の中は相変わらずだった。天井まである大きな本棚の上段は文庫本がびっしり詰まっていて、下にはCDがぎっしり入っている。グレトフル・デッドの大きなポスターを色とりどりに染色された綿で周りを囲っている。ベッドにはジェリー・ガルシアのぬいぐるみが置いてあってテレビの両端には二体のデッドベアが可愛らしくポーズをきめている。シールやらペイントやらがボディに施されている奇抜なギターの弦は張ってなく、何とも…素晴らしい作品となっていた。

「はいコレ」

グルリと部屋を見回した僕はケーキの箱を小さなテーブルに置いた。

「何?」

夢は冷蔵庫を覗きながら言った。

「誕生日ったらコレじゃない」

「何?あら?ケーキ買ってきてくれたの?」

しゃがみ込んだまま首を伸ばしてテーブルを覗くとペットボトルとグラスを持ってきてテーブルに置いた。

「あっそうだ。そのギターの弦張ってくれない?」

ベッドを背に床に座ってペットボトルの蓋を捻った。

「ギター弾くの?」

「弾かないけど…弦張ってあった方がカッコイイでしょ」

弦を差し出しながら夢は言った。

「カッコイイかぁ?まぁいいけどさ…」

そう言ってネックを握ると、いつもとは明らかに違う物足りなさを感じた。弦を張っていなけりゃギターはただのインテリアなのかもしれない。でもこの存在感があればこのままでいいんじゃないだろうか?そう思いながら僕はギターを楽器に戻す作業に勤しんだ。

「二人だと静かね」

「こんなもんだろ。あっ誕生日おめでとう」

ペグを巻きながら僕は言った。使ってないわりに手入れは行き届いているようで、埃一つない。

「うわぁ、そっけない」

グラスにジュースを注ぎながら夢は苦笑いを浮かべた。

 

「ケーキ切ろっか」

「ん?ああ、そうだな」

ギターをスタンドに立てかけると、光を浴びて日本刀のように弦をギラつかせた。ボディはそんなでも、お前もやっぱり音ありきのものなんだよな。僕はそう思いながらギターに眉をひそめた。

「随分大きいの買ってきたわね」

ナイフを置いて、夢が箱からケーキを引き出した。

「ケーキなんて滅多に買わないからな。どうせならって思ってさ」

 型崩れはなさそうだ。僕はどこかホッとしながらネックを撫でた。

 

 紙皿とフォークをテーブルに置いて、夢はケーキを切り分けた。早速先端にフォークを入れると皿に乗った歪な三角はクテっと横たわった。

「何か聴く?」

夢は僕の皿を横目にケーキを一口運ぶと、リモコンをステレオへ向けた。

「あっ知らなかった?こうしたほうが食べやすいんだよ」

「えっ?何?」夢が言うと突然、爆音がステレオから踊り出た。

「おおう」

ケーキがビクっと揺れた。反射的に僕はリモコンを探した。

「あっ、ちょっ…と」

 夢は慌ててヴォリュームを絞った。

「ヘッドフォン?」

「そう、ああ…びっくりした」

「俺もたまにやるよ」

 狂ったような吼え声がボンゴの乱れ打ちと絡み合い響く。それに重なる高音の金属音が星屑のように瞬いている。小さくなってもその音は異様な存在感を放ってる。

「最近のお気に入りなの」

「へぇ、カッコイイな。でも音悪いな。ブート?誰コレ?」

「誰…って、バンドだよ。あなたもいた」

「えっ…あっ俺かぁ…」

 僕はバクバクと一気にケーキを平らげた。こんな演奏したっけ?まったく記憶にない。テレビの傍で優しく微笑むデッドベアに問いかけながら、煙草をくわえた。夢は灰皿を僕に寄せて、ケーキを食べた。

 

 パックマンのようになったケーキをテーブルの真ん中に、僕らは煙草を吸いながら昔の音源を聴いていた。

 僕はどうやってこんな音を出していたのだろう。思い出そうとしたが、使用している機材やサンプリング音源、エフェクトを掛けるタイミングなどの記憶が見辺ら無かった。こんなだったっけ?僕は音の調合法は置いておいて、とにかくこのMDが録音された場所に自分が居たという手がかりを探した。

「やっぱあいつ狂ってたな」

目立って聴こえてくる敏夫の印象で一先ず記憶の空白を埋め合わせた。

「この頃の敏夫さんは、まだ怖かったもん」

「コレ何時くらいの?」

「本当に始めの頃。確かこの時太郎ちゃんがさぁ、好きに弾いていいよって言ってるのに『アドリブはできないです』とか言ってさ」

「ああ!わかった。マンソンメイクの次だな。本当に始めの頃だ」

「あの時は『この人絶対無理』って思ったよ」

「俺らは大爆笑だったけどね」

 昔を振り返り、笑いながら僕はただ耳に入ってくる不思議な音を聴いていた。二年前が遥か遠くに感じられた。

 

「私もどっか行こうかなぁ」

MDが止んで、思い出話も飽きてきたころ、ベッドに寝転がりながら夢が言った。

「どこに?」

「どこ?……京都とか」

「京都?何しに行くの?」

「分かんない。でも妹がいるし、何か…何かありそうだからよ」

「へぇ妹が…、もし行ったらお座敷に誘ってね」

「舞妓さんに知り合いはいないわよ」

夢はゴロンと仰向けになって続けた。

「でもさぁ、何かそういう気になるのよねぇ、私さ、敏さんと太郎ちゃんが帰るって聞いたときね『ああ、そういう時なのかなぁ』って、ちょっと思ったのよ」

「確かになぁ…でもまだいいんじゃない?」

「あっ寂しい?私がいなくなったら…」

「えっ何?」

 僕の耳を「寂しい」という言葉が素通りした。そういう時である気はしていた。ああいう時がいつまでも続くわけがない。それはつまり、また次の新しい出会いを探さなければならない時期ということだ。人でも目標でも何でもいい、新しい出会いに希望を繋ぐしかないのだ。しかし宛てが無い。とにかく僕はモシャモシャとケーキを食べた。僕には見当もつかなかった。そのきっかけすら分からなかった。

「でもそうだよなぁ、俺も…」

 振り返ると、夢の瞼は閉じかけていた。僕は三切れ目のケーキを大きめに取って口一杯に頬ばった。

 

 「そろそろ帰るかな」

 メガネを外して、すっかり睡眠モードの夢に僕は言った。

「あ~あ、誕生日に一人になっちゃう」

 夢は天井を仰いで、眠たそうな声で言った。

「って言ってもさ。俺居ても居なくても変わんねぇだろ」

「そう言わないでよ」

 目を擦りながらモゾモゾと起き上がった夢は、しばらくぼぉっとしながら一点を見つめている。僕はその視線の先を追った。

「コレ私のためのケーキでしょ?何でカオリンが粗方食べてるの?」

「俺も食べたくて買ってきたからさ。それに……寝てたじゃん」

 僕は一口食べてからフォークで夢を指した。

「私も食べる。あっ…コーヒー飲む?」

「うん、もらう」

 気だるそうに、裸足でペタペタとキッチンからコップとコーヒーを持ってきて隣に座った。僕はケーキを切り分けて、夢の皿に乗せた。

「後は…お湯ね。ああ、面倒くさい。沸かしてきて」

今度は僕がキッチンへ向かいヤカンをコンロに掛けた。

「煙草ある?」

「それ吸っていいよ」

 メガネを掛けなおして夢は煙草に火をつけた。

「二十歳過ぎると早いね」

「この一年そんなに早かった?」

 夢はキレイに煙を吐いてから、下を向いて溜め息をついた。二年前の僕は何をやっていただろう?思い返してみたが、コレといったものが浮かばなかった。きっと同じように夢も忘れていくのだろう。でもまぁ、だからってどうってことはない。そういうものなのだ。

「こんなにいらない」

 夢はケーキをフォークで突っついた。

「食えるだろ」

「ていうか、よく一人でこんなに食べたね。具合悪くならない?」

「あーハイハイ、わかったから、文句言わずに食えよ」

「あっそういう言い方ムカつく」

 ヤカンから沸騰する音がフツフツと聞こえ始めた。僕が席を立つと夢はコーヒーを淹れる準備を始めた。時計は零時を過ぎていた。すっかり帰るタイミングを逃した僕は、お湯を注ぎながら、大きくあくびした。

 

 不思議な響きのするピアノを聴きながら僕らはコーヒーを飲んだ。ポツリポツリと交わす会話の中、まったりとした空気が眠気を誘ってきた。この曲は誰のだ?気にはなったが、僕は訊かなかった。やっぱり夢には言っておこう。僕はふと思い立った。

「あのさ……」

「ん?」

「いや、何かさ。父さん…死ぬかも」

口にした瞬間、不安が急に現実味を帯びた。ずっしりとした重みが心臓にぶら下がった。

「……そう…なんだ…」

 小さく頷いて夢は煙草を取った。僕は『誕生日に言うようなことじゃなかったなぁ』とカップを両手で持ってコーヒーをすすった。『言わなきゃよかった』と後悔を漂わせる僕を尻目にピアノの旋律がせせらいだ。僕の意識は口笛吹きに誘われるように、ゆっくりと遠退いていった。目を閉じるともう現へ引き返す気が失せた。

 

 目覚めると僕は二枚の毛布を被り、床に身を横たえていた。ベッドでは夢がスースー寝息を立てている。ケーキは箱にしまわれている。寝ぼけた頭で毛布を夢に被せて、僕は本棚の前に立った。スゲーなぁ。本を読むという習慣のない僕は、ただただその数に圧倒された。何気なく背表紙が銀色にピカピカ輝いている本を取ってパラパラめくりながらベッドに背もたれて見ていると夢が目覚めた。

「おはよう」

「おはよ、見せてもらってるよ」

「ああ…、はい…あっコーヒー、淹れるね」

 ベッドから出てきた夢はパジャマ姿だった。いつの間に…、僕は夢の後姿にしばらく見とれながら箱からケーキを出して切り分けた。すると箱の中にろうそくが見えた。僕は夢の皿にケーキを乗せてろうそくを挿した。

「あっ何?」

「誕生日っぽくない?」

 僕はライターで火をつけた。

「そういう心遣い…昨日欲しかったなぁ」

「そうかぁ…ゴメンね。おめでとう」

 朝日がカーテンに透ける中、夢はフーっとろうそくの火を消した。

 

 

 

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