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 コンビニで立ち読みをしていたせいで、店に着く頃には夕闇が降りかかっていた。

「お疲れ様です」

「おかえり、あれ社長は?」

「途中でどっか行っちゃいました」

 買ってきたパンをカウンター内の机に置いてショルダーバックを床に下ろした。

「どうだった?」

「何がですか」

「いやほら、以前は結構怖かったって言ってたじゃない」

「今回も鉢合わせました」

 ついてないねぇ、と帰り支度をしながら蔵元さんは笑った。僕は買ってきたパンの袋を開けながらふと社長の行方を思った。

「じゃあ、後よろしく」上の空だった僕は「あっはい」と言って我に帰った。

 

 店内に人気は無く、カウンターに置いてある小さなラジオからAM放送がノイズ混じりに鳴っている。音楽に疲れた時はこれが役に立つ。なにしろ週五で八時間ずっと聴きっぱなしだ。一年や二年じゃない僕で五年、蔵元さんは十年もここにいる。しかし疲れたからといって無音はこの店では寂しすぎる。FMは何故か受信しないラジオだが、今では僕もたまに世話になる。

 

 パンを口でモゴモゴさせながら、ストック棚に目をやった。目ぼしい入荷はなさそうだ。僕は適当に目についたバリー・ホワイトのベスト盤を手に取った。店内用のCDプレイヤーは壊れているためプレイステーションが代わりを務めている。たまに「いい音だねぇ。プレイヤー何使ってるの?」と聞かれると、この古いプレステを見せるのがとても忍びなく思えて困ってしまう。そんな時は「スピーカーじゃないですか!」や「やっぱり大きい音で聴くと印象も違うみたいですよ」とごまかす。スピーカーが何処のメーカーで良いものなのかどうかは知らない。恐らく出張買取の際にどっかから貰ってきたものだと思う。とにかくプレステにCDをセットしスタートボタンを押せば音は聴けたが、テレビと繋がっていないため知らないCDを聴く場合「おっ、この曲いいな」と思っても何曲目なのかが分からないという難点はある。まぁそんな具合だが、何てことなく音楽は始まる。

「一緒にハジける?」

 低いセクシーな声でスピーカーからバリーが僕を手招いた。

 

 バリーの“マイ・エヴリシング”を流しながら、カウンターの後ろにあるCDのストック棚から売れそうなものを十数枚選び出し商品化を始めると、先輩の深沢さんがダンボールをヨイショと持ち上げて狭い通路をカニ歩きでやってきた。

「お疲れ様」

「お疲れ様です。出張買取ですか?」

「そう、急に『今から来てくれない?』って電話きてさ」

 カウンター内にその荷を下ろし、軍手を脱いだ。

「収穫はどうでした?」

「ダンボール一箱、レコード五十枚位かな。百円で引き取ったよ」

 ということは、僕らは無言で床のダンボールへ目を下ろした。

「歌謡曲っすか?」

「それも状態が悪いんだよ。だから申し訳程度に百円ね」

「じゃあ地下に運んどきますね」

「うん…でもさ、地下見た?」

「ええ…わかってますよ。もうゴミの樹海ですね」

「だよね?さすがにヤバイんじゃないかと思ってこの前社長に言ってみたんだけど、ダメだわ。もう変な骨董癖がついちゃってるよ。捨てた後に価値が出たら…みたいな事考えてるぽかったよ」

「マジっすか」

 そう言って笑いあっていると、自動ドアが開いてお客さんがやってきた。

「いらっしゃいませ」

「じゃっコレ、一応中見てみてもし売れそうなものあったら抜いて残りはまた…地下に運んどいて」

 諦観の笑みを浮かべながら深沢さんは二階への階段を上っていった。

 

 一階は音楽、二階はコミックやゲームなどのフロアとなっている。初めの頃は二階にも入っていたが、いつの間にか一階専属となった。二階には夢と深沢さんが専属で入っている。夢は本好きだし、深沢さんはゲームに詳しい。それぞれが適材適所に配置されていて、人間関係も良く、僕にとっては時の流れを忘れてしまうほど、居心地の良い環境となっていた。

 

 商品化が一段落した僕はしゃがみ込み、先程のダンボールの物色を始めたが抜けども抜けどもゲンナリするものばかりだった。半分ほど見た辺りでダンボール掘削の手を止めてカウンター奥へ押しやり、その姿勢のまま温風ストーブのスイッチを入れた。五月の気候はとても半端で昼間は暖かいが、夜は足元がどうにも冷える。胸ポケットの煙草を確認してカウンター上のCDの商品化が終わったら一服しようと決め腰を上げようとすると背後に人の気配がした。すかさず振り返るとその勢いで足がもつれストーブにつまずいた僕は派手に転んだ。

「大丈夫?」

 ケラケラ笑いながら太郎が立っていた。

「大丈夫だけどよ。お前、黙って後ろに立つなよ、ビックリするだろ」

「いいんだよ。ビックリさせようとしたんだから」

 上半身をゆっくりと起こし、薄ら笑いを浮かべる太郎を見上げた。

「一声かけろよ」

「何も言わない方が驚くかと思ってさ」

「驚かすなよ」

 ストーブが警報音をピーピーと鳴らしている。僕は崩れた体をほろいながら立ち上がり、ストーブのスイッチを切った。

「何かいいの入った?」

「確かマリリン・マンソンのアナログが入ってたよ」

「まだ言うか。いいじゃん好きだったんだからさ」

 

 太郎の本名は俊太郎だった。本人は「俊」と今まで呼ばれていたらしいが僕らは“カッコ良過ぎる”という理由から「太郎」と呼んでいた。店の常連の一人で、立ち話の中で小樽出身であることを知った。僕の父の実家が小樽だったため「小さい頃よく遊んだよ」と懐かしい話をしている内に仲良くなった。僕らのバンドのベーシストで初めてのスタジオ練習の時に何を勘違いしたのかマンソン・メイクをばっちりとキめてやってきた。口紅やアイシャドウをした太郎に僕らは思いっきり引いたが、その後津波のように爆笑が押し寄せた。それ以来マリリン・マンソンは太郎をからかうキーワードとなった。

 

「どんなの探してんの?」

「ダブ、ON・Uちっくなヤバイの」

「じゃあレゲエのとこ見てみな」

「あるの?」

 太郎はレゲエCDのコーナーへ歩いていった。

「ダブじゃないかもしれないけど、ソウル・シンジケートってのはお薦めだよ」

 ダブやノイズ、現代音楽などのいわゆる“変わった音”は僕の担当だった。たいした知識があった訳ではないが、この手の重く暗い音や気違いじみた音が好きだったためだ。ジャケットからその手の音っぽいオーラを放っているものは僕専用の“商品化ボックス”とダンボールに書かれた箱に入れられていた。レゲエなどはダブと関連するためかよく混ざっていた。

 

 「聞かせて」

 太郎が早速持ってきた。プレステにセットしてスタートボタン押した。ゆったりとしたレゲエのリズムに乗ってホーン・セクションがマイナー調のメロディーを奏でていく。

「コレ買うよ。でももう少し聴かせて」

 音が始まって数十秒で太郎は言った。

「相当趣味変わったよな」

 目を閉じて体でリズムを取る太郎を見ながら僕は言った。

「俺?そうかな?」

「だって会った頃は、インダストリアルしか聴かなかったじゃん」

「元々興味はあったんだよ。ただ周りに知ってる人がいなかっただけ」

 へぇ、そっかぁ。頷きながら少しずつ目を下に向けCDの札書きを再開した。

 

 太郎はしばらくカウンターに背を向けて聴いていた。僕は常夏のジャマイカを思いながら商品化を続けていた。

「薫さんさぁ、実家帰ったりしてる?」

「何だよ。突然」

 札書きをしながら“実家”という言葉に敏夫のことを思い出した。あと三枚商品化したら話そうと決めると、今日の美雪の話も含めて早く話したくてたまらなくなり、途端にペンが走り出した。

 

 「ちょっと行ってくるわ。すぐ戻るから。あっCD変えてもいいよ。ありがと」

 三枚目の札に差し掛かった所で太郎はそう言ってレコードの重機の間をカニ・ステップですり抜け外へ行ってしまった。盛り上がっていた“おもしろい話をしよう”という気持ちが太郎の背中と共に遠ざかり、急にどうでもいい事に思えてきた。考えてみりゃ大しておもしろくもねぇか、と三枚目の札をサッと書き終えソウル・シンジケートを止め、ストック棚にあったジャミロクワイをセットした。

 「ウ~ヘッヘイ、オゥ」“ヴァーチャル・インサニティ”のイントロに合わせて小声で唄いながら太郎を待った。

 

 夜の十時の店内に客は一人もいなかった。この時間帯は暇だ。だいたいレコード屋は九時くらいで閉店するのが普通だろう。しかし以前はもっと凄かった。午前三時までだ。朝の十時から夜中の三時まで開けていた。「うちは日本一営業時間が長いレコード屋だ」と社長は言っていたが、夜中にレコードを見に来る客など月に二、三人だったし、二階には立ち読み客が閉店間際まで巣くっていた。そんな売り上げにまったく繋がっていない状況に気づくのに社長は二年かかった。そして営業時間は今の午前十時から午後十一時までになった。

 

 何曲目を聴いているのか分からなくなった頃ビニール袋をブラ提げて太郎が戻ってきた。

「まだ夜寒いね」

肩をさすりながら太郎は言った。

「まだ五月だからな」

「何か店の中も寒いね」

「客がいねぇってか?上手いこと言うな」

「いや気温的にさ」

 そう言われると何だか寒い気がしてきた。気がしてきた途端に急に寒さが足元に染み込んできた。ストーブを見るとスイッチが入っていなかった。

「ストーブ入ってなかったの?」

「さっきコケた時だ」

 そう呟いてスイッチを入れ直した。顔を戻すとカウンターに缶コーヒーが乗っていた。

「何?くれるの?」

「差し入れ。寒いから」

「珍しい。ていうか初めてじゃない?」

 そう言って缶を掴むと温かさが掌から全身に伝わった。

「ジャミロクワイ?」

 コーヒーを飲みながら太郎は天井を指差した。飲み口をすすりながら僕は頷いた。

「どう?」

「どうって聞かれても…俺の好みではないねぇ」

「じゃあこれを機会に聴いてみれば?ベースもカッコイイよ」

「いや、いいよ。さっきのヤツ見せて」

 CDを渡すと太郎は、ひっくり返したり、中を開けて解説を見たりした後、髭のモジャ男がハンバーガーみたいなものを口に入れているジャケットをじっと見ていた。

「次はこういうのやりたいなぁ」

「いいじゃん。俺も好きだよ、こういう音。あれ?でも次の曲決め誰だっけ?」

「夢だよ」

 僕らのバンドではメンバーが順番でやりたい曲を選び、それを個々で練習してきてスタジオで合わせていた。ライヴなどは一切やらず、ただスタジオで音を合わせることを楽しむというバンドだった。

「夢かぁ。じゃあきっとスピッツだな。あいつ最近上でスピッツばっか聞いてるから」

「次は敏さんだしなぁ…」

「夢に言って代わってもらえば?」

「いや…またでいいや…、ちょっと上見てくるわ」

 そう言うと太郎はCDをカウンターに置いて二階への階段を上っていった。

 

 カウンターに三十枚ほど積まさった商品化済みのCDを店頭へ運んでいると、二階から店の袋を下げて客が一人降りてきた。「ありがとうございます」と小声で言ったがその姿はスゥーと流れるように店を出て行った。その背中を横目で見てからCDを並べた。

 

「夢は帰ったの?」階段を降りてきた太郎が言った。

「当たり前だろ。あいつは主に昼番だよ。コレ買う?」

 ソウル・シンジケートのCDを指差して僕は聞いた。

「もらうよ」

 

 会計を済ませてCDを手渡すと電話が鳴った。

「そろそろ閉めるかい」

「そうっすね」

 深沢さんからの内線電話を切り、閉めの準備にかかった。

「じゃあ、帰るわ…」

 太郎はそう言いながらどこか名残惜しげにカウンターのコーヒーを取ったが、それっきり動こうとしなかった。

「何だ?」

「あのさ、俺、実家帰ろうと思うんだ」

 しばらく沈黙が居すわった。内心、お前もかと思ったが何故自分が黙っているのか分からなかった。敏夫に続き太郎も、となると僕のプライベート・ライフは確実に寂しくなる。でも、それだけか?とにかく妙な気分だったが、この沈黙が湿っぽくなる前に何とかしたかった僕は、次の言葉を探した。

「そっか、まぁ親御さんも喜ぶんじゃない?」

 出てきた言葉は敏夫に言ったものと同じだった。

「うん。喜んでたよ」

 そうかぁ…と言ったきりまた会話は止まった。敏夫のことを言おうかと思ったが何故か喉で詰まった。

「それで敏さんにも言おうと思ってさ。今日行っていい?」

「いいけど、スタジオで会ったときでいいんじゃない?」

「うん。でも何かこういうのって言い辛いからさ。せっかく薫さんに言えたからこの勢いに乗ってさ」

 ふと、敏夫が言っていた太郎の不自然な個人練習を思い出した。

「外で待ってる」

 太郎はポケットから煙草を取り出して出て行った。

 

 「お金数え終わったかい?」

 深沢さんが帰り支度をして降りてきた。

「すいません。もうちょっとです」

 一階と二階の売り上げは共に計算が合わなければ帰ってはいけないルールだった。外には太郎も待っている。電卓を叩く指が焦った。

「あれ?シャッター閉めてないの?」

「えっああ、すいません」

 安全のためシャッターを閉めてからお金を数えるというのもルールだ。シャッターを閉めに行った深沢さんに煙草を吸っている太郎が会釈したのが窓越しに見えた。僕は閉めの作業を急いだ。

 

 

 

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