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 「そろそろ寝るか」と考えていると公衆電話からの着信があった。

「あっもしもし、明日部屋の引渡しなんだけどさぁ、ボラれたくないから一緒に立ち会ってくれない?」

「えっああ…いいよ。でもあれ?何で公衆電話なの?」

「今ホテルに泊まってるのよ。荷物全部送っちゃったから。で何となく目に付いたから使ってみました」

「そっかぁ、でもさぁ…本当に行っちまうんだなぁ」

「今更何言ってんのよ。あっ十円切れるわ。じゃあ明日よろしくね」

ガシャンと電話は切れた。僕は携帯を置いて、溜め息をしながら電気を消した。明日、夢は京都へ旅立つ。冷たい布団を被りながら僕は目を閉じた。

 

 翌日は寒さが一層骨身に染み渡った。呼ばれるがまま行ってみると部屋はいつか見たように、もう何も無かった。

「結構広いでしょう」

「うん、でも夢が居てよかったよ」

「えっ?…あっ敏さんの時のこと?」

「完全にトラウマになってるわ」

 頭を押さえる僕を笑いながら夢は見ていた。改めて見回すも、物の消えたその光景は思い出を何一つ語らず、ただ廃墟のような哀愁を帯びて胸に迫ってきた。

 着いて間もなく大家さんがやってきて、部屋のチェックが始まった。淡々とした口調で壁のヤニと画びょう跡を指摘されたものの、他は上手くやり過ごした。僕はすっかり雰囲気に呑まれてしまい、白い息を吐きながら、ただ黙って夢と大家さんの後をトボトボと付いて回った。

「それじゃあ、今までありがとうございました」

 大家さんは早口でそう言いって会釈すると、あっという間に階段を降りて行った。

 

 札幌駅の休日らしい人波を余所に、僕らは喫煙コーナーで時間を潰していた。

「ヤニだけで済んで良かったぁ、壁紙の張替えは予想してたから」

「俺も引っ越す時は言われるんだろうなぁ」

「あんなに煙草スパスパ吸ってたら当然でしょ。あっ太郎ちゃん本当に来るの?」

 腕時計を気にしながら夢は言った。

「多分そろそろ…、それにしても随分軽装だな」

「荷物は大半送ったから、それにしても待ち合わせ場所にしては随分なチョイスね」

「完全に見世物小屋じゃない」と夢は小さくぼやいて、煙を払いながら顔をしかめた。

「いいじゃん、分かりやすいし」

「長時間居たら匂いつくでしょ」

「そんな長くは居ないでしょ」

 そう話しながら煙に巻かれていると、見覚えのある顔が扉を開けた。

「おまたせ」

 スーツを着こなした太郎が煙の中に入ってきた。

「太郎ちゃん!久しぶり」

「よお、久しぶり!変わってねぇな」

「おいおい、ちゃんと見てよ。このスーツ」

「あっカッコイイ」

「それに久しぶりってほど、久しぶりじゃないよ」

「いやぁ変わらねぇな」

 僕らは笑顔でスーツを摘みながら、久々の太郎を出迎えた。

 

「あっそうだ、本は殆ど河林堂に置いてきたから」

 改札の前で夢は振り返り言った。

「マジで?」僕と太郎は正反対の表情で声をユニゾンさせた。

「いつも暇そうなんだから、感謝してよ」

「俺欲しいのある?」

「あるわね。結構な数置いてきたから」

「薫さん、今日行っていい?」

「忙しくなるなぁ」

「ああ、色々楽しかったわ。カオリン、太郎ちゃん、お世話様でした」

 深々とお辞儀すると、夢はそのまま僕らに顔を向けることなく滑り込むように改札を抜けて行った。

「えっ、あっ、おい」

「じゃあねー、元気で」

 呆気にとられている僕を尻目に、太郎は叫びながら手を振った。段々と遠くなる夢の背中を見ながら、頭は言葉を探していた。

「またな」

 そう一言呼びかけて、僕は夢の背中を見送った。

 姿が消えた後も、太郎は胸の辺りで小さく手を振り続けていた。夢はスタスタと遠ざかり、一度も振り返らなかった。

 

「仕事は大丈夫だったのか?」

 喫茶店でコーヒーをかき混ぜながら僕は訊いた。

「ああ、今日休みだもん」

「休みなのに…何でスーツ着てんだよ」

「『ちゃんと定職に着きました』って伝えたかったんだよ」

「じゃあ何、それは…コスプレ?」

「何のさ?」

「…サラリーマンの?」

 太郎は鼻で笑って外人のように肩をすぼめながら、ココアを飲んだ。

「で、薫さんはどうすんの?辞めるの?」

「辞めるなって言った奴が言うじゃないか」

「いやでも現実問題、どうすんの?」

 現実…僕はそう呟いて、コーヒーを飲んだ。

「俺はもうしばらく居るかなぁ。まだ未来が雲に覆われてるっていうか…、まぁこういう時は…」

「動かない方が正解…?」

 太郎は僕の顔を見てニヤリとした。

「そう、わかってんじゃん。でもやっぱりさぁ、一人は寂しいなぁ」

「寂しくなったら小樽に来なよ。ああ…今はまだ忙しいけどね」

「うん……あっそうだ忘れるとこだった」

 僕はポケットから封筒を取り出して太郎に差し出した。

「何?」

「金、あの…買い取り金」

「ああ!すっかり忘れてた」

 封筒を開けて、金を取り出す太郎に僕は尋ねた。

「なぁお前さ『新しい自分』見つけたの?」

「えっ何それ」

 僕は煙草を取り出して、黙って火をつけた。太郎は封筒をしまって一息ついてから、僕の顔を見て言った。

「新しいかどうかわかんないけど、親父の会社さ、結構楽しいんだよ。音楽好きな人もいてさ」

「そっかぁ、そういうのもありだな」

「次は薫さんの番じゃない?大トリじゃん」

「だから俺はまだ雲の中なんだよ」

「取り合えず辞めてみたら?」

「馬鹿言うなよ。そんなことしたら俺路頭に迷うじゃねぇか」

「じゃあ旅に出てみたら?」

「う~ん…」

 その後も太郎の実の無いアドバイスは続いた。僕はあきれ気味に頷きながらも、一生懸命僕の雲を晴らそうとしてくれる太郎の言葉が嬉しかった。

 

 店を出るとが夕陽が西の山に乗っていた。

「じゃあまたね。寂しくなったら連絡して」

 太郎はコートを翻し、笑って僕に手を振った。

「浮ついて、足元掬われんなよ」

「大丈夫、上手くやるよ」

 そう言って太郎は駆け足で信号を渡るとすぐに人波に呑まれた。歩道脇に連立する巨大な雪の山を眺めながら、僕は夢の言っていたことの意味を考えながら歩いた。ふと太郎の楽しそうな表情が思い浮かんで、溜め息が漏れた。小さな雲のように真っ白に染まる空気に仄かな西日が滲んだ。

 

 

 

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