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Birth of The BE-BOP Vol.2

 

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 1945年11月、原子爆弾の投下により日本の降伏から3ヵ月後、チャーリー・パーカーは初めて自分の名前のレコードを録音します。それは戦争が終わり、それまで主流だったスイングに代わる、新しい時代の音となります。

 「ニューヨークで革命が起きていた」あるサックスプレイヤーが言っていたように、その音はJAZZミュージシャンの耳にも、新しく、斬新に響きました。戦後の幕開けと同時に炸裂したチャーリー・パーカーの音楽は「価値観の変化」を決定付ける音となります。

 作家ラルフ・エディソンは「見えない人間」という著書で当時を振り返ってます。

 「大抵の音楽は人の記憶を揺さぶるものだ。しかし、あのころの音楽は一切の記憶、過去との繋がりを拒んでいた。氷のように無表情なドラマーは変全自在で混沌としたリズムに身を委ね続けていた。緩やかな流れにも似たJAZZビートとブルースの伝統はこの時、一切、川底から押し流されてしまったように見えた。時が経ち、私達が物事を遠くから眺められるようになった今なら、その新しい音の奥に古いフィーリングが活かされていることが分かる。しかし、私たちが物事の真相に気づくのは、その時に受けた衝撃の、ずっと後なのだ」

 

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 第二次世界大戦の終結と共に、ビック・バンドによるJAZZは衰退していき、代わってフランク・シナトラのようなイケメン歌手が人気を博するようになりました。若いファンは歌声に接しようと会場に詰め寄りました。 しかしJAZZそのものが衰退した訳ではありません。それどころかアメリカ中のクラブで演奏されていたほどです。しかしそこでの演奏スタイルは以前のようにきっちりと計算された3分間のダンス音楽ではなく、緩やかな約束事に基づいてミュージシャンが自由に演奏するいわゆる“モダン・ジャズ”が主流となっていきました。このスタイルはやがて“Bebop”と呼ばれるようになります。

 “Bebop”によりオリジナルのメロディやコードは徹底的に変えられ、テクニックとセンスとアイデアの連続で音楽は作られていきました。Bebopが「JAZZ史上最大の革命」と呼ばれる所以はそういった、芸術性の高さからなのです。

 

 しかしパーカーは自分の欲望の暴走に振り回されっぱなしでした。相変わらずヘロインとの関係を断ち切れなかったのです。ディジーとのロサンジェルス・ツアー中にも姿を暗まし、航空券を金に変えました。ディジーはそんなパーカーのドラッグ癖に愛想を尽かし、パーカーを置いてニューヨークへ帰っていきます。

 取り残されたパーカーは一人「ダイヤル・レコード」という小さなレーベルとレコーディング契約を交わします。しかし密売人が捕まりドラッグが手に入らなくなると、パーカーは禁断症状に苦しみ、それを和らげるためのアルコールでさらにボロボロになっていきました。

 1946年7月29日、最悪のコンディションでレコーディングに望みましたが、そこに記録されたのは悲痛なまでに歪んだヨレヨレの演奏でした。

 このレコーディングを終えるとパーカーは完全に壊れてしまいました。ホテルのロビーに裸で現れたかと思うと、寝煙草で小火騒ぎを起こしました。そして駆けつけた警官反抗的な態度を取ったため、パーカーは留置場に入れられてしまいます。裁判の結果、パーカーは精神科の患者としてカマリロ州立病院に収容されることになりました。JAZZ界に革命をもたらした天才の入院生活は半年に及びます。しかし、野菜を育てたり、病院のバンドでサックスを吹いて過ごす間に彼の健康状態は急速に回復していきました。

 

 一方のディジー・ガレスピーは今やBebopの顔となっていました。ビッグ・バンドを率いてのBebopはディジーの興味からキューバ音楽の要素も取り入れて、より大衆に近づいていきました。メンバーに女性トロンボーン奏者のメルバ・リストンを起用したのも当時としては新しいことでした。

 

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 1947年の初めに退院したチャーリー・パーカーはつかの間、ヘロインとの縁を切ることに成功しました。古巣のマンハッタン52丁目に戻ったパーカーは新しいバンドを作ります。演奏している内にパーカーは若手の演奏者が自分を真似て演奏していることに気づきました。当時、アメリカ中のJAZZマンは皆、パーカーをコピーしていたのです。

 

 評論家はパーカーの演奏をBebopの代表的なものとみなしましたが、彼自身はそういうレッテルを嫌いこう言い放ちました。「俺がやっているのは音楽だ。俺はただ、よどみなく演奏し、その中で最高の音を探しているだけだ」 そんなパーカーの熱烈なファンは増える一方でした。

 

 パーカーの崇拝者は古いJAZZやポピュラー・ミュージックを小バカにしましたが、パーカー本人は音楽であれば全て受け入れていました。ある時パーカーが古いカントリーのレコードを聴いていました。すると横から男が「あなたはJAZZの革命家だ。何故そんな古臭い音楽を?」と尋ねました。するとパーカーは大真面目にこう言ったそうです。

 

「よく聞け、物語が聞こえて来るだろ」

 

 また車で移動中にメンバーが「家畜は音楽が好きらしい」と言ったところパーカーは車を降りて一頭の牛を前にサックスを吹きました。牛が迷惑そうな顔をしていたことは言うまでもありません。

 

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