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 敏夫はあの後帰ってすぐに美雪に連絡したのだろう。美雪の久々の奇行には驚いたが、いくら思ったが吉だって言っても…なぁ…と思いながら河林堂のドアを横に引いた。

「おつかれ様です」

「あっ佐伯君来ました。はい…はい…」

電話を肩に挟みながら蔵元さんがメモを取っている。店内にはお客さんが二人いた。僕はレコード重機の狭い間をすり抜けてカウンターへ向かった。

「悪いんだけど、ちょっと警察署行ってきてくれない?」

電話を置いた蔵元さんが言った。

「何かあったんすか?」

「社長が事故っちゃったらしい」

…ふぅ、溜め息と共に腕を組んだ。「またですか?」

「そう、また」

「被害者は…」

「いない」

「じゃあ社長も…」

「無傷、まったくの自損事故」

社長は年に五、六回は交通事故を起こした。一度助手席に乗ったことがあったが、社長は普通にハンドルを握ったまま目を閉じていた。

 

「社長!」

「ん?」

「いえ…前を…見たほうが…」

「ああ…大丈夫」そう言って数分後、また静かに目を閉じた。

「社長…?」

 

  そんなやりとりをドキドキしながら何度も繰り返した。働き始めの頃は本気で心配もしたが、付き合う月日が経つにつれ、心配ではあるものの、「きっと凄い強運の星の元に生まれた人なのだ」と思うようになり、「事故った」と聞いてもそれほど驚きはしなくなっていた。

「で、俺まだ仕事あるからさ。迎えに行ってきてくれない?」

「この前も俺だったじゃないですかぁ…あれ?夢は上にいないんですか」

「佐伯君の方が一回行ったことあるから勝手とか分かるでしょ」

「勝手なんて無いですよ」

「そう言わずにさ。それにもう迎えの名前“佐伯”って言っちゃったんだよ」

えぇ…はぁ…でも…

そんな調子でしばらくねばったがどうにも変更はなさそうだった。僕は観念しタイムカードを押した。

 

「今回は何処ですか?」

「東警察署」

以前は北警察署だった。「署が違えば勝手も何もないじゃん」そんなギスギスとしている僕を春の風が心地よく吹き抜けた。まぁいいや。考えたって仕方ない。まだ明るい空に溜め息をして僕は東警察署に向かった。

 

 歩いて二十分程で東警察署に着いた。お城のような中央署とは違い北、東署は共に建物が古く、その外見だけでも十分な威圧感を放っている。以前と同様に受付をして二階に連れていかれた。

「小林さん、あんたどうやって帰るの?!」

「えっ歩いて…」

「そうじゃないよ!車はどうするんだって聞いてんの!」

「はぁ…」

 明らかに社長への怒声が聞こえた。以前も何故かこのタイミングだった。この声を聞くと“警察は怖い”と思ってしまう。昼間見た警察のイメージは音を立てて崩れていった。案内をしてくれた警官が「お迎えの方が来ましたよ」と言うと、怒鳴っていた鬼警部は僕を睨みつけ、「ああ」と誰に言ったか判らない返事をしてその場を去っていった。僕は鬼警部が遠退いたのを見届けてからパイプイスに座り、小さくなった社長に近づいた。

「社長、行きましょう」

「ああ、すまないね」

 

 辺りは夕暮れていた。社長は現在免停だったというのを案内してくれた警官が教えてくれた。ああ…そうなんすかぁ…と聞いていたが僕には「意味もなく怒鳴っているわけじゃない」という風な、鬼がキレている弁解に聞こえた。車は後で別の人が取りに来ることにし、僕は社長と夕焼け空の下、店への道を歩いていた。

「無事で良かったじゃないっすか」

「……」

「でもあの鬼…、いえ警官は…、やり過ぎですよね」

「ふふ…」

 会話はそれっきり止まった。社長とはよく顔は合わせるのだが、きちんと話した事は一度もなかった。いつも飄々とした超マイペースオーラに包まれていて、僕は毎回それに呑まれ、不思議と言葉を失った。

 

 数分歩いた辺りで「ちょっと寄るところがあるから」と言って社長はどこかへ行ってしまった。稜線が夕日に映える中、ポツンと取り残された僕は一人店へと歩いた。

 

 

 

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