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Albert Ayler  ~Spiritual Unity~

NY、イースト・リバーに消えた孤高の革新者

 

 取っつきにくいFree Jazzの代表格です。一般的な「Jazz」という概念を普通に持っている人ならば、まともに聴くことは難しいと思われる音です。ですから当時(このアルバムが発売された辺り)の低評価も頷けます。現代に於いてはこの「スピリチュアル・ユニティ」はFree Jazzの名盤とされていますが、それがこの音に対しての正当な評価なのだろうか?といった疑問も無きにしも非ずです。

 しかしその熱っぽく、骨太なテナー・サックスを吹きまくるこの男が放つ音は、何だかわからない内に僕の興味をくすぐり、Free Jazzへの入口を作るきっかけとなり現在もその楽しみを広げてくれている源泉となっている事は確かです。

 そこでこのアルバート・アイラーという人と音について少し話してみたいと思いました。拙い文面ではありますが、読んでいただければ幸いです。

 

 1964年、まだ設立間もないESPレーベル(Free Jazzを中心にニューヨークのアヴァンギャルド・ミュージックを世に紹介するために、バーナード・ストールマンが作ったマイナー・レーベル)から僅か200枚の限定盤として発売されたのが「スピリチュアル・ユニティ」でした。この人間の感情がグッと凝縮されたような革新的な音は「薄暗い空間の中で、何だか得体の知れない球体がグルグルと永久運動をしているような無調ジャズ、これは本物だ。どうしてここまで突き詰めていったのだろう」と後に語られている通りの音です。Jazzのスイングというスクエアーな概念を睨みつけながら、どこまでもフリーキーに、ダーティーに、そしてスピリチュアルに放たれる音は、今なお斬新に響き続けていると思います。

 

 アルバート・アイラーは1936年7月13日オハイオ州クリーヴランドで生を受けました。1956年から61年まで軍隊での生活を経験した後、ヨーロッパに滞在し活動していました。その期間、コペンハーゲンでアイラーの音を聴いたジョン・コルトレーンは「私は彼のように演奏したいのだ」と言ったと聞きます。事実、既に大御所であったコルトレーンは当時まだ無名であったアイラーのテープを聴きながら練習をしていた時期があったそうです。

 しかし、この革新者アルバート・アイラーの音はヨーロッパでは少なくとも温かく迎えられたものの、本国アメリカではそうも受け入れられはしませんでした。一部の熱狂的なアイラー信者の他は無理解な人々に囲まれ、様々な中傷に晒されました。しかし、それでもアイラーは己のスタイルを貫き、演奏を続けました。ここまで一本槍に自分の音に賭け、ありふれた表現から抜け出そうとする姿勢も静かな感動を呼びます。

 

 様々な苦難苦闘の日々の末、1966年ようやくインパルス・レーベルとの契約もまとまり69年にはダウンビート誌の国際批評家投票で第1位となりファン層もより広くなるかと思われました。

 しかし、1970年、アイラーは20間近く行方不明となり11月25日、NYイーストリバーに変死体となって発見されました。(他にも様々な説がありますが…) アイラーはこう言っていました。「ヨーロッパでは心から伸び伸びと演奏できるんだ」ヨーロッパには理解者も多くいるというのに何故、アメリカで不遇を囲い、無理解に耐えながら演奏を続けたのでしょうか?これは勝手な想像ですが、僕は意思であると思いました。負けず嫌いなどよりも、ずっと水準の高い純粋な意思であると思います。このアメリカとの己のスタイルを賭けた勝負を思うと、胸が熱くなります。そしてもし河へ向かったのがアイラーの意思であるとすると…、不謹慎な妄想に「う~ん」と考えさせられてしまいます。

 

 さて、これで僕の知っているアルバート・アイラーの話はおしまいです。もし興味を持たれた方は是非どこかで聴いてみて下さい。悩める男の革命的咆哮が時に静かに、時に荒々しく聴こえると思います。 あとがき~ 最近ではCDのリイシューが凄まじいスピードで行われています。アイラーの音源も容易に手に入ることでしょう。……それにしても早すぎますねぇ、こんなスピードじゃあっという間に過去の財産を食いつぶしてしまう気がします。いかに今の音楽業界が深刻な状況であるかが、よく伝わってきます。でもそれは結構嬉しいことなので、まぁいいか。

 

イビ ダイスケ

 

 

参考文献

モダン・ジャズ名盤500

ジャズ・レコードブック   栗村 政昭著

ジャズの前衛と黒人たち    植草 甚一著

ジャズ・フリー    フィリップ・カルル、ジャン・ルイ・コモリ著

 

 

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