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 カウンター内にそれらしき本が詰まったダンボールが三箱置いてあった。聞けば社長が買い取ってきたとのことだった。『夢の本はきっと高いに違いない』と踏んでか、二万も出したそうだ。しかし背表紙を見る限り、状態はてんでバラバラで、中には破れているものもある。どう見ても金額に疑問が残ったが、その字体や色合いからは、微かに不思議な妖気が漂っているのを感じた。

「二十歳の女…、だったよなぁ」

改めて夢の趣味のぶっとび具合に僕は感心しながら、ズラリと並んだ見たことも聞いたこともないタイトルや人名に目を通していると、ふとこの本の行方が気になった。

「まぁ…、その内社長が何とかするでしょ」

 ダンボールを閉じて、僕はすっと立ち上がり、一息ついてから商品化を待つ音盤たちに手を伸ばした。

 

 それから数日経っても狭いカウンター内でダンボールは幅を利かせていた。いつものパターンだと、その内このまま地下の樹海に送られる。問題は誰が運ぶかだ。本来なら一階の主である僕が運んでいくのだが、いつの間にか体が順応し、僕は大して気にならなくなっていた。それどころか積み上げたダンボールは休憩用の椅子として重宝していた。

 

 そんなある日、出勤すると深沢さんが一階カウンターで腕組みをしながら何かをじっと見ていた。

「どうしたんすか?」

 コートを脱いで目線を追うと、ダンボールに張り紙がされていた。

『オークション出品三日以内』

 その黒マジックの走り書きからは明らかな怒りが感じられた。社長の理不尽な怒りは慣れたものだったが、時間を指定してくるのは初めてだ。この三日間は僕と深沢さんがびっちり入っている。つまり僕ら二人でやらねばならない。その量と時間に僕は戸惑った。加えて、本のことは夢にまかせっきりだったため、相場が分からない。僕は唖然としながらダンボールを見下ろした。

「これ全部ですかね」

「まぁ、考えても始まらないか」

 ポンと僕の肩を叩いて、首を振って深沢さんはダンボールを一つ抱えてヨタヨタと二階へ上がっていった。

 僕は取り合えず片っ端からオークションに出品することにした。なるべく手間のかからなそうなやつから…と思ったが、楽をしようとする僕を嘲笑うかのように、パッと見たところ知っているものは一冊もなかった。

 

 樹海送りは免れたが、写真を撮って、ネットを駆使して相場を調べて、コメント載せていく作業は骨が折れた。

「これ全部かぁ」

そう呟きながらパソコンに向かう僕は案の定、七冊目にして嫌気がさした。

「ああ、面倒臭ぇ」

 画集や写真集には興味が無い訳ではなかったが、その量と時間に僕は追い詰められていった。一服つけながら、残る大量の本を煙ごしにぼんやり見ていると、ひょっと顔を出した悪魔がそっと囁いた。

「本なんて、そんなに値は張らないんじゃない?」

 僕は悪魔とガッチリと握手した。そうだ、そうに決まってる。二万の根拠は…退職金だろう。どうせ出したところで高が知れている。いくら社長命令といえども、全部出してしまえば後はどうにでもなる。とにかく出品すりゃいいんじゃねぇか?いや、いいに決まってる。

 そう見切りをつけて、僕はパソコンに戻った。本の大きさや表紙の雰囲気で適当に値を決めてコメント欄には『写真をご参照下さい』とだけ載せ、バシバシと出品を始めた。

 

 閉店時間を迎え、レジを閉めた僕は出品確認のために再度パソコンに向かった。結局今日は二十三冊をやっつけた。

「おっスゲー、結構出したんじゃない?」

 帰り支度をした深沢さんがダンボールを覗きながら言った。

「いやぁ、まだまだありますからね。でも三日以内には間に合いそうっすよ」

「俺は今日もう帰るわ。じゃあ、お疲れ」

 余裕の笑顔で僕は見送った。見通しはついた。後はやるだけだ。キーボードを叩く指も軽快に僕は画面に目を通した。

「ん?」

 覚えの無い数字に僕は目を留めた。スタートはどれも千円以内に設定したはずだ。にも拘らず、その本は五千円となっている。僕は思わず画面に身を乗り出した。入札者が妥当な値を入札したのだろう。……良いことじゃないか。でもいや、待てよ…。コメント欄を見る限り発行年やページ数、そしてコメントが書かれているなど出品の仕方が丁寧な印象。定価一万四千八百円…

「この人、よっぽどこの本が欲しかったんだねぇ」

 冷静に諭す悪魔を余所に、僕はとにかくその本を取り出した。

「現代の陶芸…河井寛次郎…」

 へぇ…、中をパラパラと見てみると、壷やら御椀やらが奇妙な形で佇んでいる。不思議な魅力があるのは一目見てわかった。僕は本を閉じて、試しに他の出品物も見てみると、コメント欄が『写真をご参照下さい』だけではあまりにそっけなく、どこか冷たい印象さえ受ける…。

「コメントなんてダリィじゃん。そんなの読んでる奴なんていねぇって。それにお前…今更消費税の表示も無い昭和の定価なんて気にしてられないでしょう?」

 そう捲し立てて再度手を伸ばす悪魔を僕は迷い無く、蹴飛ばした。

「やっぱちゃんと調べなきゃダメだな」

結局そこに辿り着いた僕は本を戻して、ダンボールの前に立ち尽した。

「でも…今日は、もう帰ろう」

苛立ちを溜め息で吐き出して、胸にしこりを覚えながら僕はコートを着込んだ。

 

 高価な入札があったおかげで、目は覚めたが出品の行方は、また霧に覆われてしまった。あの頃のスピードを懐かしみながら僕は一冊一冊、丁寧調べて出品していった。まったく、大変な手間だ。

「夢の野郎…」

また次の置き土産を手に取り、『楽しくやってるかなぁ』などと思いながら、ふと二階へ目をやった。

 

 目を押さえながら煙草を吸っていた。ダンボールはあと一箱まで迫っていた。時計は九時を少し過ぎている。

「こりゃ、今日中には終わらねぇな」

 でも明日には終わるだろう。そう思いながら残る一箱の中で傾いている本に目をやり、肩を回していると電話が鳴った。

「はいもしもし河林堂です」

「あっ良かった。薫?姉ちゃんです」

「は?」

「姉です。あなたの」

「えっああ、姉ちゃん?」

「お父さん危篤だから、帰っておいで、ってさっきお母さんから連絡あったよ」

 姉はとても落ち着いた声でゆっくりとそう言った。妙な胸騒ぎとともに頭に暗雲が立ち込めた。

「えっそう…っかぁ、でも今すぐはちょっと…、えっ姉ちゃんはどうするの?」

「JR最終はまだ間に合うから、それに乗ってくよ」

 フロアーにはお客さんが二人、のんきにレコードを見ている。この状況に、僕はどうすればいいのか分からなくなっていた。

「じゃあ俺もそれに乗ってくわ」

 とにかくそう言って電話を切ると、僕は二階へ駆け上がった。

「すいません。父が危篤らしいんすけど、あの…どうしたらいいでしょう」

 深沢さんにそう言った途端、数人いた立ち読み客の視線が一気に僕に向いた気がした。

「えっ!それはすぐ…あぁっそうか、う~ん、とにかく社長に連絡してみるよ。だから…」

「わかりました」僕はまた階段を駆け下りた。

「帰る準備はしときなよ!」

 後ろから深沢さんの声が聞こえた。

 

 コートを着ていると深沢さんが二階から降りてきた。

「社長が来るってさ。もうちょっと待っててって」

「すいません。ありがとうございます」

 深沢さんは心配そうに僕を見てから階段を上がっていった。帰り支度を整えてパソコンの電源を切って僕は社長を待った。無音の店内には客がレコードを選んでいる音だけがコンッコンッと響いている。

 

 ラジオのチューニングをいじっていると、社長がやってきた。

「おまたせ、さっ、行って」

 社長はドアをくぐるなりそう言って僕をカウンターから送り出した。

「ありがとうございます。では…お疲れ様です」

僕はJRへ向けて駆け出した。

 

 最終の時間まではまだ余裕があったが、僕は取り合えずホームに出た。粉雪が蛍光灯にキラキラと光っている。立ち食い蕎麦屋のオレンジ色の壁にもたれていると携帯が鳴った。

「お父さん、今亡くなったよ」

 母はゆっくりと言った。

「そう、うん…分かったよ。俺ももうすぐ帰るから」

 僕は光に反射する粉雪を眺めていた。

「じゃあ直接家に行ってくれる?」

「分かった。じゃあ、家でね」

電話を切って、緩い風に電線が揺れるのをぼんやりと見ていた。『ああ…死んだかぁ』とだけ思った。一息一息が真っ白になる。

「あら?薫?」

 向こうから姉が歩いてきた。顔を向けると、ちょうど電車のライトが夜の闇にキラリと輝いた。

 

 「あれ?お父さんっていくつだったっけ?」

「五十四よ」

「そっかぁ…発病っていくつの時だったのかなぁ」

「三十二って聞いたけど」

「長生きしたほうかな…?」

「この病気にしては……長いほうなんじゃない?」

 ふ~ん…。僕らは父のことをポツリポツリ話しながら夜汽車に揺られた。

 

 家に着くと母は忙しげに葬儀屋と話していた。

「おかえり、お父さんそっちに居るから、顔見ておいで」

 姉はすぐに向かったが、僕は一先ず二階へ上がった。

 

 一階へ行くと姉は食卓でお茶をすすっていた。

「キレイな顔してるよ」

 姉がそう言うと母と葬儀屋も頷いた。

 

 僕は銀色の布を被った父の顔から布をゆっくりと剥がした。父の顔には顎から頭にかけて縄が掛けられていた。きっとあの死神状態のまま逝ったのだろう。その顔色は魂が抜けたことを如実に語っていた。そっと触れてみた頬は、ひんやりとしていて湿り気を帯びている。

「父さん…」

 人間は死後数時間で、こうも白く、冷たくなるものなのかと思いながら、僕は首筋をペタペタと触り、額を撫でてから、瞼をこじ開けてみた。もっと何か胸の奥から湧いてくるかと思ったが、いざ遺体を前にすると、涙を誘う感情はスーッと溶けていった。

「父さん……ごくろうさまでした」

 僕は正座して頭を下げてから、フワリと顔に布を戻した。

 

 

 

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