Daisuke Ibi / NOISE DISTRACTION CREATIVE
11
部屋でギターを弾いているとブザーが鳴った。聞く度に体がビクつく程、部屋にそぐわない音量だった。
「ハイよ」
ドアを開けるとアロハシャツの敏夫とソニック・ユースのTシャツを着た太郎が立っていた。
「おう。やってるか?」
「スピッツ?ああ、うん、まぁ上がれよ」
二人はゾロゾロと部屋に上がると、敏夫は冷蔵庫から麦茶を取り出して、ラッパ飲みした。
「いきなり?」
太郎は笑いながらベッドに腰かけた。
「お前は…、ちょっとは遠慮ってのを覚えろよ」
「いいじゃん。夏だぜ」
太陽は出ていたが、その日は昼間でも、涼しかった。タンクトップにアロハを羽織った敏夫は坊主姿も相まって外見はチンピラそのものだった。
「そういや…、ほら!薫はまだ太郎を励ましてないんじゃないか?」
太郎は夢との一件以来、店に顔を出していなかった。
「励ますったって、なぁ」
僕が同意を求めると、太郎は照れくさそうに、はにかんだ。
「ほら!その笑顔があれば大丈夫!」
「何だそりゃ?」敏夫はあきれ気味に笑った。
「だからさ、店には普通に遊びに来いよ。夢だって嬉しかったはずだよ」
「えっ?夢が言ってたの?」
敏夫から麦茶を受け取りながら、太郎が言った。
「ん?ああ、わからないけど、好きだって言われりゃ、そりゃあ嬉しいものなんじゃない?」隠すこともなかったのだろうが、何故だか僕は、夢に相談を受けたことを言わなかった。
「嬉しかったに決まってるじゃねぇか」
敏夫はそう言いながら、太郎に麦茶をすすめた。
「そっか、なら良かった」
グーッと飲んで、ハァーと一息ついてから、太郎は僕に麦茶を回してきた。
「で、どうなの?引越しの準備は、進んでる?」
僕は麦茶を机に置いて煙草をくわえながら話題を変えた。
「まぁまぁかな」
「でっかいもの片付けないと、引越しって感じしないよな」
どっしりと、あぐらをかいた敏夫が煙を吐きながら言った。
「でも、そんな大きいもの…あっ、ベッドくらいかなぁ」
「もう日取りは決まったの?」
「うん、八月末には行くよ」
「ってこたぁだ。後…」
俊夫が指折り残りの日数を数えだした。
「一ヶ月くらいだよ。だいたいで良いじゃねぇか」
「おっ、じゃあお前、そろそろスピッツやべぇじゃん」
「俺はもう弾けるよ」
「ああ、俺も大丈夫だわ」
そう言って僕と太郎は握手した。
「マジで?じゃあ後、俺と夢か…」
「夢は弾けるんじゃない?」太郎が間髪入れずにつっこんだ。
「いや、俺も叩けるよ?でも…うん、もうちょっと待って」
「まぁ二週間後だな」笑って僕は言った。
「そうだね」
「二週間あれば大丈夫。問題ねぇ」
その後は夕方まで僕らは何や間やと話し続け、ちょうど麦茶が空になった頃、太郎が席を立った。
「あれ?帰る?」
「うん。喉渇いたから」
「水があるだろ。水が」
「俺は水道水飲めないんだよ」
ちらりと台所へ目をやって太郎は立ち上がった。
「何を生意気な!おい薫、ホースあるか?」
「おう、洗濯機の中だ」
「いやいや、止めてマジで!」
洗濯機の中からホースを取り出す敏夫を尻目に太郎は素早く靴を履いた。
「じゃあね。薫さん。また」
敏夫はホースを蛇口に取り付けるのに手間取っている。
「ああ、またね」
「よし!」
ホースを機関銃のように構える敏夫の標的はパタンという音と共に帰っていった。
「……何で捕まえとかねぇんだよ」
「知らねぇよ。ていうかお前その格好…、バカだなぁ」
「うわぁ~、ノリ悪」
敏夫はホースを洗い場に投げ入れながら、そう吐き捨てた。
「部屋に水撒かれても困るしな」
「細かいこと言うなや」
「細かくねぇだろ。後片付け、大変だぞ」
「それは家主の宿命だから、仕方ねぇ」
ふてぶてしく煙を吐きながら、敏夫はどっかりとベッドに腰かけた。
「今日は休みか?」
「ああ。お前はバイトだろ?」
「ああ……いや、俺も今日休みだ。ちょっと電話貸して」
電話を渡すと、敏夫は手馴れた速さで番号を押し始めた。
「ああどうも。鈴木です。今日ちょっと友人が急病で寝こんじゃったんすよ。ええ…、いえ大したことじゃ…ええ、食中りみたいなんすよ。ええ…」
「季節的にまぁ…アリかぁ」などと考えながら僕は黙って、白々しいサボリの理由を聞いていた。
「ええ、あっそうです。佐伯です。あいつ胃腸が弱いんすよ」
「オイッ!オイッ!」
僕は声を立てずに抗議した。俺はミンガスの常連だぞ。しばらく行けねぇじゃねぇか。
「はい、すんません」
電話を切ると満足気にこちらに微笑んだ。
「な!」
「何がだよ。俺を巻き込むなや。今度行ったら何か言われるじゃねぇか」
「大丈夫だって、何とかなる」
面倒くせぇなぁと、ぼやきながら、僕はどうして敏夫は今日休むのかが気になった。
「この間店長に辞めるって言ったらさ。もう俺の代わりの奴が入ってきたんだよ。ずっと俺付いてたんだけど、そろそろ一人で入ってみてもいい頃だと思ってな」
「あそこに二人っきりはキツイな」
ミンガスのカウンターの狭さを思いながら僕は言った。
「キツくは無ぇよ。良い奴っぽいしな。…それより腹減らねぇ?」
「ん?ああ。じゃあ米を…」
「久々に外に食いに行かねぇか」
「いいねぇ。行くか」
よし、じゃあ用意してくるわ。敏夫は部屋へ戻っていった。窓からやんわりとした夕陽が足元に落ちている。「用意ったってなぁ」僕の方は特に準備することは無かったので、敏夫の後を追うように、すぐに外へ出た。
西日が、前にある民家とアパートの隙間から力強い閃光を放っている。思わず目を細めると溜め息が漏れた。その光に打たれながら煙草に火をつけていると、バタンッとシーソーの音がした。僕は光の方へ煙を吐いた。
「何やってんの?」
そう言いながら雪駄を履いた敏夫がカラン、コロン音を立てながらやってきた。
「別に、ただボケーとしてただけ」
ふぅん、そう言いながら陽を避けて、前の柵にもたれながら敏夫も煙草に火をつけた。僕も柵に肘を乗せ、敏夫の隣に移動した。夕陽がちょうど僕らの間に割って射している。
「俺らって何年くらいの仲だ」
「四、五年じゃない?」吐いた煙が閃光の中を泳いだ。
「そうかぁ。何だかんだで結構長いな」
「他に友達って感じの人とも出会わなかったしな」
「あぁ?何?」
「お前はネクラって話だよ」
「でもそういや…、札幌に友達って全然いねぇな」
僕のからかいに乗ることなく、敏夫はポケットから煙草を取り出した。
「まぁ…、だから今でもこうして肩並べて煙草吸ってられるんだとも思うけどな」
「お前も同じ穴の狐だ」
「うるせぇ、でも確かになぁ、おかしいくらい友達ってできなかったな」
「何でか分かるか?」
敏夫が笑みを浮かべながら言った。
「俺たちの興味の対象が他とは違うからさ。類は友を呼ぶって通りにな」
「興味の対象?そこだけで俺らって繋がってるの?そんな薄っぺらじゃねぇだろ」
「いいや。薄っぺらだね。少なくとも二十代前半はな。そこを手がかりに“そいつ”っていう人間を探っていくもんだ。まぁ中には、見てくれや財布の中とか、あと学歴なんかを気にする奴もいるみたいだけど、大半は何に興味を持ってるか、ここよ」
「それが友達のできなかった理由か?」
「別に悲観するこたぁねぇよ」
「いや、でもさ…」
そう言いかけると、敏夫は掌をこちらに向けて、僕の言葉を遮った。
「きっとさ、そんなに無いぜ。こんな変な奴らに会える時ってさ」
「あぁ?」
「いいじゃねぇか。たまには俺の話を黙って聞いてろよ」
僕は二本目の煙草に火をつけた。話を黙って聞くのは嫌だったが、僕は敏夫の次の言葉を待った。煙が昇っていく空は赤みがかっている。
「良い時間だったよ。本当にさ」
「そんな、お前、死ぬわけでもあるまいし」
「お前はもうちょいかかるかもな。でもいつか、振り返ってみろ。きっとわかるよ。今が中々ナイスな時間だったってことがさ」
「そういうのは、もっと歳食ってから考えるんじゃないの?」
「ん…まぁ、そうだな、ただ何となく言いたかったんだよ」
「ひょっとしてお前、寂しいのか?」
「それはお前だろ」
敏夫は柵で火をもみ消すと、ピンっと煙草を指で弾いた。
確かにこんな出会いはもうないだろう。“今”の価値がどれ程かはわからないが、これだけ気の合う奴らに囲まれながらの生活は、やはり幸福なのだろう。歩いてきた道はそれぞれ違うが、その時々に微妙な重なり合いを経て、音楽を介して知り合い、互いの興味に触発されながら、それまで知らなかった、未知なる世界に出会えた。そんな奴らだからこそ妙な気兼ねもすることなく、良いと思ったものは素直に認め合えたし、各々の感性で持ち寄った音を集めて、独りよがりだった知識を、より深めることができた。その繰り返しを、あたり前の事として日常的に行える環境は、僕にとって楽しかった。
公園の向こうのビルの屋上に夕陽が乗っている。陽はまもなく沈む。向かいの公園から甲高いはしゃぎ声が響く。ちょうど隙間から見えるシーソーの上を子どもが走り抜ける。バタン!
「おうっ」
暫し考え込んでいた僕らは、その音に、同時にビクっと驚いた。
「おお…いや、何だっけ、友達は良いもんだってことか」
「まぁあ…そんなとこだ…」
「でもさ、考えすぎじゃねぇか?ほら、一期一会って言うだろ」
「それは建前なんだよ。…結構心配してんだぞ」
「誰を?俺を?」
「お前このままだったら、絶対方向見失うぞ」
「何の話だよ」
「今後の話だよ。まぁ、がめつく言うつもりは無ぇけどさ、その辺も考えとけって話だ」
「そうだな。何すっかなぁ」
気の抜けた声で、僕は返事を濁した。
先のことを考えていない訳では無かった。しかし、考えても、宛がまったく思い当たらなかったため、誰かが声を掛けてくれるのを待っている状態だった。完全な他人任せだったが、今のままで良い気もしていた。レコード屋で一生を送るってのも悪くない……そう、そうなのだ。確かに、未来は大切だ…が、今聞きたいことは別なんだよ。飯を食いながら、聞こうと思っていたこと、美雪のことだ。せっかくの機会にも関わらず、ここまで美雪の話には触れずにきた。あの後、美雪からは何の連絡も無いし、敏夫にも何ら変化は見られなかった。柵に両肘を乗せ、夕焼け空を見ている間もずっと、聞こうか聞くまいかの狭間で葛藤している僕がいた。
「お前も大変だねぇ」
迷いの渦中で頭を抱えながら、平静を装う僕に、敏夫は柵にもたれ、薄ら笑いながら言った。
「えっ何が?」
「夢から相談受けただろ」
「ああ…うん、バレてた?」
「やっぱな、何かそんな気したんだよ」
「それよりお前、美雪は大丈夫なのか?」
「あいつは今、行方不明だよ」
「行方不明?」
「そう、連絡しても返ってこねぇんだ。まぁ、俺が悪いんだけどな」
下を向きながら、敏夫は雪駄で床をカンカン踏み鳴らした。
「お?非を認めるのか?」茶化し気味に、僕は言った。
「非っつうか、いや…悪くねぇな。良いとか悪いとかじゃねぇもんな」
「確かに良いとか悪いじゃないのかもしれないけど、美雪の気持ちをもっと考えてやれよ」
「いや、俺が言ってるのは良いとか悪いとか、うだうだ言ってても始まらねぇってことさだから……心配しないでくれ、帰るまでには、ちゃんとするからさ」
『それ以上は聞くな』という気配が敏夫から放たれているのが分かった。僕は煙草をくわえて公園の方を向いて火をつけた。いつの間にか子どもの声は消え、どこからともなく聞こえるのは、高校生くらいの男女の声に変わっていた。青みがかった辺りは、闇が徐々に居座り、公園内に立つ外灯がボンヤリと光っていた。敏夫はポケットを探り、クシャクシャの煙草のボックスを取り出して、握り潰した。
「さて、煙草も切れたし、腹も減ったし、飯食うか」
「おう、どこにする?」
ん?と言わんばかりに敏夫は僕の家のドアノブに手をかけたまま、とぼけた表情で僕を見た。
「あれ?どっか行くの?お前ん家でいいじゃん。米あんだろ?」
「何だ?外に食いに行くんじゃなかったのか?」
「ああ、もういいや。それより、おかずはあるのか?」
「無ぇよ」
僕は外食用に準備されていた胃袋の活動をなだめながら言った。
「じゃあ買い出しに行くか」
「いやもう、外で食おうや、家で食う気が失せてんだよ」
「バッカお前、鍋外で食ったら、いくらすると思ってんだよ」
「えっ、鍋?鍋やんの?」
「ああ、うっせえな。いいから行くぞ」
敏夫はスタスタ歩いていったが、僕は不本意な胃袋を抱え、その背中をあきれ眼に見ていた。階段を下りて敏夫の姿が見えなくなった頃、ようやく「鍋も悪くない」という意見に胃袋が同意した。「美味そうじゃん」僕は溜め息を一つついてから、すぐに同意できなかったバツの悪さを隠しながらも、あくまで“仕方ねぇな”スタンスは崩さないように、ヨタヨタと後を追った。