top of page

                                                                                 10

 

 ドシッ、という音で目が覚めた。薄暗い部屋で携帯の着信ランプが床で震えながら点滅している。ベッドで寝転がったまま、ゆっくり手を伸ばし、携帯を掴んだ。

「…ハイ、もしもし」

「あっ、カオリン、寝起きぃ?今何時だと思う?」

「今?」

僕は寝ぼけ眼で時計へ目を細めた。八時…、ちょい過ぎ……あっ!一気に目が覚めた。バイト!僕はベッドから跳ね起きた。

「ああ!ごめん!すっかりもう…、いやー寝過ごした。すまん」

「珍しいわね。まぁ今、私入ってるから大丈夫だけど、とっとと来てね」

僕は電話を切ってポケットにしまうと、そのまま疾風のごとく店へと走った。

 

 「…すまん…」

息を切らせて開けっ放しになっているドアをくぐった。

「遅い!そして暑い!一体何℃あるのよ。今日は」

夢はそう言って、扇風機に顔を寄せていた。ごめんと謝りながら僕はカウンターへ向かった。

「すっかり眠り込んじまってさ。あれ?二階は?」

「蔵元さんが入ってるわよ。ああ、にしても暑いわね」

ターンテーブルでグレイトフル・デッドの『アメリカン・ビューティー』が回っている。僕はしばらくカウンターから夢が出てくるのを待ったが、夢は一向に帰り支度をする気配を見せない。

「えっと…、もう、大丈夫だから、帰ってもいいよ」

「…あぁ…今日はちょっと残っていくわ。久々に地下のレコードも見たいし…」

地下のレコード?そりゃ中にはお宝もあるかもしれないが、大半は二束三文のゴミの樹海だ。それは夢も知っているはずなのに、知っていてなお見たいのか?…こいつはどこまで物好きなんだ。

「そう…じゃあ、うん、ごゆっくり」

僕がそう言うと、何とも言えない憂いを横顔に佇ませながら、夢は地下への細い階段を下りていった。いつものキビキビした感じの無い夢が少し気になりながら、僕はレコードの針を上げて、ラジオの電源を入れた。

 

 レコードの商品化をしながら、少しずつ呼吸を整え、冷静になってきた僕は、レコード盤の埃を拭き取りながら、漆黒の盤に映る顔を覗き込んだ。あの後、本田は見事東高に合格し、茜ちゃんと付き合い、卒業後、本田は東京の大学、茜ちゃんは新潟の大学に進学したと聞いた。その距離から「別れただろうなぁ」と思っていたが、ある日「あいつまだ高校の時の彼女と付き合ってるらしいよ」と旧友から聞いた。僕は東京~新潟間を経ても繋がっていられる驚きと共にどこかホッと胸を撫で下ろしたのを覚えている。

 一方、僕はといえば、学力低下に伴い、塾の模擬テストで「南はムリです」とのお達しをいただき、何の迷いもなく、すんなりと南高から西高に志望校を変更した。結果、西高に滑り込めたが、入学三ヶ月後にはサボリがちになり、来る八月、僕は二十五日間の夏休みを自主的に延期したまま、今に至る。

 理由は、馴染めなかったからだ。授業や人、校舎に至るまで、あそこにあった全ての要素が、僕の中の退屈を発火させた。「何かがオカシイ」そんなモヤモヤに向き合い、当時の僕が導いた解答は「世界はもっと深いのでは?…ないだろうか」という曖昧かつ適当なものだったが、不思議な確信があった。この地球上で海の向こうの音楽といえばボン・ジョビとミスター・ビッグしか耳に入ってこないのは何故だ?確かに雑誌には他のアーティスト達もたくさん載っている。辛うじてニルヴァーナが触手に触れたが、他は今一つピンと来ない。何故だ。そこで、ある日の授業中に仮説を立ててみた。「俺の感性は知らぬ間に周りに影響され、同調している」…でも本当にそうなのだろうか?「オカシイ」とは思っているものの、どうしてもモヤの核心には触れられなかった。どうすれば良いのか分からなかった僕は考えた末、とにかく周りと距離を置いて一人になることで、自分の感性を一度しっかりと見てみようと思った。先生、友達、周囲の人…、とにかく、知識を教授してくる連中が言っているより、もっとたくさんの凄いものがこの世にはあるはずだ。高校から足が遠退いたのは、そんな僕を含む、周囲の人に対する、手持ちの知識への疑問からだった。

 しかし幸か不幸か、例の“あとがき”組の内、三人が、偶然にも、時同じくして見事に学校を見限ったという情報が、中学ネットワークを通してすぐに耳に入った。僕は、一週間ばかり続いた禅問答を一旦中止して、その内の一人の家に入り浸った。おかげで僕は、頭をモヤモヤさせながらも居場所に困ることなかった。そんな時に「大検」の話を夏樹より聞き、母に相談した所、静寂を伴った説教のあと、僕は札幌で一人暮らしできるという素晴らしい境遇を得たが、母はいくつか条件をだした。

『家を借りる際の最初のお金は自分で稼ぐこと』

『大検を取ることをあきらめないこと』

『警察のお世話になるようなことはしないこと』などなど言ってはいたが十六歳の僕は『一人暮らし』という未知の世界に、ただただ胸をときめかせた。

「お父さんにも、きちんと伝えてきなさい」

母は僕の目を見てそう言うと、静かに立ち上がり、話は終わった。僕は座りながら、胸のときめきが微かに萎えていく感じがした。

 

 

 扇風機がカラカラ音を立てながら回る。

「この間、佐伯さんが教えてくれた、マイルスのブート買いましたよ。ヤバかったっすよ」

五年も同じレコード屋にいるおかげで、似たような趣味の人が集まって来るようになっ

た。

僕にも数人のお客さんが話しにやって来てくれるようになっていた。

「あれはカッコイイっすよね!でもまだ他にも良いのありますよ。例えば…」

時折ザァーザァーとするラジオから三線の音が机上のハイビスカスの様に、初夏に彩を添える。

 

 

 バスで一時間半程の町里離れた山の麓の施設に、父はいた。僕はバイトを見つけ一人暮らしの準備を着々としていた。父の病気はここ一年で明らかな進行を見せ、もう一人では歩けなかった。飯も一人では食べられなくなっていたし、発音も言葉にならず、言っていることが理解できなかった。母や姉はたまに会いに行っていたらしいが、僕は最後にいつ会ったかも覚えていなかった。多分二年振りくらいだ。バスに揺られながら、入浴中などで会えなかった時のためのメモを書いた。『学校は辞めました。札幌で一人暮らしをしながら大検を取ります。大検が何かはお母さんに聞いてください。薫より』

 玄関に置いてある受付用紙に名前を書いて、事務所にいたエプロン姿のおばさんに病室を訪ねた。車椅子に乗ったおじいちゃんが独り言を呪文のように呟きながら、じっとこっちを見ている。「こちらですよ」と案内されるがまま廊下を歩いた。行き交うのは車椅子に乗った、認知症と思われる老人ばかりだった。

「ここですね」

「ああ、どうも」

 病室のドアは開け放たれていて、代わりにクリーム色のカーテンが揺れている。くぐるとすぐに両手を頭の後ろに当てくつろぎながらテレビを見ている父が居た。

「ああ…久し振り」

「おおぉぉ…」

父は驚いたように僕を見た。

「どうも…、あっ元気だった?」

僕の言葉に父は苦笑った。

「元気…じゃないよね…」

「おぉぉまえ…、がぁっ…こう」

「ああ、うん…、辞めたんだ。でも…」

 眉間にシワを寄せて、目を閉じながら父はゆっくりと顔を天井へ向けた。その表情は僕から言葉を奪った。しばしの間を置いて窓の外に目を向けてから僕は口を開いた。

「今日はさ、その続きを報告に来たんだよ。大検っていうのがあってさ。俺、それ取るから心配ないよ…」

 それから大検の説明やら、学校がいかにつまらなかったかを一方的に僕は話し続けたが、父は何も言わなかった。

「じゃあそろそろ行くよ。しばらくは札幌に居るから会いに来れないけど、その内また顔出すよ」

 そう言って僕は席を立った。最後に顔を見ると、父の目から涙が流れていた。僕はパっと目を逸らして「じゃあね」と手を振って病室を出た。

 施設を出た後、バス停までの道を歩いていると涙が滾々と溢れてきた。あまりに身勝手な自分を心から認識させられた。今更ながら「辞めることは無かったのではないか?」と問いただしたりもしたが、戻る気はさらさら無かった。

「だから気が乗らなかったんだ」

一度振り返って鼻をすすりながら、泣きっ面を引きずって、バス停までの真っ直ぐな道を歩いた。

 

その後は、札幌でバイトを転々としながら何とか大検を取り、運命ともいえるこの河林堂に出会い、気がつけば札幌暮らしも七年が経っていた。

 

 

 「ハイ!じゃあお疲れ様」

レジを閉め終え、蔵元さんが、リュックを背負いながら言った。

「あっ、すいません。今日ちょっと残っていきます。レコードの整理やっときたいんで」

「おお、働き者だね。じゃあ俺は帰るから、カギだけしっかりお願いね」

「じゃっ」と手を上げて店を後にする蔵元さんを見送ってから、僕は床のレコードの入ったダンボール箱を足でどけて、地下へ降りた。

 

 コンクリートの打ちっぱなしのおかげで、地下は一階に比べてひんやりと過ごしやすい気温だった。電気は一箇所が壊れていて、「ビー…バチッ」と音を立てて点滅する。日々深みを増してきている薄暗いダンボール箱の樹海からガサゴソと何かが蠢く音がするのは少々不気味だった。

「おーい。店終わったよ。帰ろう」

階段を下りてすぐの所から僕は夢を呼んだ。

「社長の骨董癖もここまでくると気違いよね」

薄暗い樹海から頭に小さな蜘蛛の巣を付けた夢が、数枚のレコードを手に携えて現れた。

「何かあった?」

「サン・ラのアナログ。コレ多分オリジナル盤だよ」

「嘘!」

確かにまだお宝は眠っているのだが、あまりにゴミの量が多すぎて誰も探そうとしないのが現状だった。

「早速明日オークションに出してみるよ」

レコードを受け取りまじまじと見ながら僕は言った。

「まだまだありそうだけど、この有様じゃあねぇ」

夢は手をパンパンほろいながら、ダンボールの樹海を振り返った。

「たまには俺も探してみっかなぁ、運試しに」

「いいと思うよ…」

僕の横を通り過ぎ、夢は階段を上っていった。何か変だ。そう思いながら電気を消して、夢の後を追った。

 

 レジの上を残して、他の場所の電気を消すと、外の自販で缶コーヒーを買って夢が戻ってきた。

「もう夏ね」

「そうだな。俺は暑いの結構好きだけどね」

「へぇ、以外。苦手かと思った」

「何かいいじゃん。楽しい気分になるんだよ」

「私は春がいいなぁ」

夢はレコードで一杯のダンボールに腰かけて缶を開けた。

「でも珍しいね。遅刻するなんて」

よいしょ、と夢は扇風機を床に置いた。

「ああ、もうグッスリだったよ。悪かったね。ありがとう」

店頭のレコードを見回りながら僕は言った。

「本当よ。暑いのなんのったらなかったんだから。まぁ、それよりもさ。ちょっと、相談なんだけどさ」

「何?」

僕はカウンターの上に置いてあった夢のコーヒーを一口いただいた。

「太郎ちゃんのことなんだけど」

「ああ、敏夫から聞いたよ。でも…あれ?気づいてなかったの?」

「そりゃあ、何となくは…ね。でも太郎ちゃん帰るんでしょ?」

「いいじゃん。遠距離でも。要はお前が好きかどうかって話だ」

まったく、どいつもこいつも。内心そう思いながら、今朝、美雪に言ったことを、あくび混じりに繰り返した。

「距離の話じゃなくて、心構えの話よ。もう帰るって人が何でって感じしない?」

「好きだってことに理屈は通じないよ。気持ちを伝えたいと思って、機会がやってきたと感じたら、言っちまうのが正解だと俺は思うよ」

「でも言われたほうは、何か…」

前髪を手で触りながら、夢は下を向いた。

「でも、断ったんだろ?」

「うん」

「じゃあ、それで良いじゃねぇか。まぁ、しこりは残るだろうけど…気にすんな。それこそあいつは後二ヶ月位で居なくなっちまうんだからな」

「…そうよねぇ。居なくなっちゃうのよねぇ…」

「…ちょっと、寂しいだろ?」

「うん…、いや、別に寂しくないよ。私はカオリンとは違うの」

夢は僕のひっかけに一瞬乗って、すぐに我に帰った。昨日散々からかわれた僕は、舌打ちをして夢のコーヒーを手に取った。

「何だかんだで二年間つるんだ仲間なんだから、ちょっとは寂しがってやれよ」

「そうね。やっぱりちょっと寂しいかも…」

「だろう?」

“寂しい”というキーワードを夢から引き出せたことに妙な達成感を覚えながら僕はコーヒーを飲んだ。

「でもだからって…ねぇ…」

「まぁ、付き合う合わないは別だろうけどさ」

「本当言うとさ。困った反面、嬉しかったりもしたのよ。ぶっちゃけ言って私、他人に好きだって言われたの初めてだったから」

ウッソーと言わんばかりに「ふぅ~ん」と頷いた。夢はカワイイ。男が放っておくはずがない。そう思っていた僕の口元の薄っすらとしたニヤけを夢は見逃さなかった。

「えっ本当だよ。本当。私は…ほら、恋愛なんて夢のまた夢だったのよ。それこそ小説の中のことよ」

「へぇ…意外だねぇ」

「まさか私を好きになる人がいたとは…」

「それは…貴重な体験だったな。俺は告白ってされたことないから分かんないけど…、どんな感じだったの?」

「あら?意外。無いの?」

「俺のことはいいよ」

今度は夢がニヤリと笑ってから、小さい蛾が飛び交う天井を、ぼんやりと見ながら続けた。

「何かねぇ…、良いものよ。どうして私はこの人に恋しないのかって、ちょっと考えちゃったもん」

「そんなドラマちっくな告白だったの?」

あの太郎が一体どんな言葉で思いを伝えたのかが僕はとても気になった。

「別に、そんな特別なことはなかったけど…」

夢は何とも切なげな表情を浮かべて目線を下げた。

「ふ~ん、そういうものなのかねぇ」

「わかんないよ。初めてだったんだから」

「でもさ。これでわかったろ?夢は人に好かれる人間なんだよ。恋愛だって作り話じゃなく、現実でも十分自分に起こりえることだってさ」

口を結びながら頷く夢は、何故自分がこの娘に恋をしないのか不思議になるほど、カワイイ女の子だった。

「そう言われると、ちょっと照れるね…でも、本当ね。良かった。私でも恋愛できるのね」おいおい、お前が恋愛できなかったら、世の男の恋愛対象のストライク・ゾーンってど

んだけ狭いんだよ。胸を撫で下ろす夢を見ながら、あきれ気味にそう思った。

「でもこういう話できる人って、カオリン達以外にいないしさ。あっ地元には何人かいるけど、カオリン達といる方が楽しいかも…、なんて言うか…私、話が合わないから…何かね、話してて自分を圧縮してる気分になるのよ」

「そっかぁ…でも俺もそうだな。だから音楽の話なんてあんまりしないもんなぁ…」

 ねぇ…と夢は憂い顔のまま頷いた。

「でも俺はさ、地元の友達とはこれからも仲良くやっていける気がするよ」

「何で?」

「思い出を共有してるから…かなぁ?」

「思い出?」

「そう、まぁそんな大したもんでもないんだけどね。でも多分俺らはそんなもんで死ぬまで繋がってる気がするんだよなぁ」

「死ぬまで?大きく出たわね。でも羨ましいなぁ。そんな出会いがあって」

「でも多分俺らも一生もんだと思うよ」

「えっ」

 夢は僕の顔を見上げた。

「いや、敏夫と太郎と夢のこと。俺多分一生忘れないと思う」

「じゃあ私にもそんな出会いが既に訪れてたってことね」

「そういうことだ…ね。俺も今気づいたよ」

「何それ?適当?」

 夢の顔に、ようやく戻った笑顔をよそに僕の舌は尚も回った。

「それとさ、好きなものを無理に合わせることはないと思うよ。でも趣向が違うからといって“自分を押し殺している”って思うのはどうかなぁ。それはきっと大なり小なり、誰だってそうだからね」

 夢はここに来るまでの間、散々周りとのギクシャクを実感してきたのだろう。何たってジェリー・ガルシアだ。同年代の女の子と意気投合することは無かっただろう。そんな夢の戸惑いは“周囲への疑問”に頭を抱えていた頃の経験をフィルターに、薄っすらと伝わってきた。少し考えてから、ちょっぴりしょげてる夢に、僕は続けた。

「合わないところは置いといて、こっちが合うところを探す努力をしなきゃならないんだよ。ほら、人は皆考え方違うから。結局お互いが譲り合いながら繋がっていってる気がするけどなぁ」

「そういう繋がりがねぇ…苦手なのよ。昔っから」

「大変なんだよ。心の中は誰もわからないからな」

「カオリンさ、そういうのどこで習ったの?」

「どこ?俺は思ったことを言ってるだけだ」

 ふ~んと頷きながら夢はダンボールの椅子を離れ、灰皿を取って床に置いた。

「あ~あ、ジェリーの良さを分かち合える素敵な出会いが無いかなぁ」

 そうぼやいて、夢は煙草に火をつけた。

 

 ブルルルッとポケットで携帯が揺れた。ちょっと失礼、と僕は夢に背を向けて店内を歩きながら、受話器を開いた。敏夫からだった。

「あっもし?お前今どこ?」

「まだ店にいるよ」

「あれ?今日遅くねぇか?まぁいいや、醤油貸してくれ」

「だから、まだ店だって」

「ああ、そうかぁ…、何時くらいに終わんの?」

「わかんない、でも帰ったら持ってくか?」

「いや、いいよ。何とかするわ。じゃあな」

 

 電話を切ると、夢は何やらプレステにCDをセットしている。電話をカウンターの上に置いて、コーヒーを飲んだ。しばらくすると心地の良いそよ風のようなギターが店内に響いた。

「あ~あ、やっぱり私は好きなのよねぇ」

背中を丸めて溜め息混じりに夢は言った。

「ああ。これは良いわ」

 飄々としていながら、おおらかな感じがありありと伝わってる音だ。こういう音楽を心から受け入れられる二十歳の女の子は、やはり稀だろうと、改めて音を聴いて確信させられた。同時に何故このような音を周囲は受け入れられないのかが不思議になったが、長いアドリブの演奏、牧歌的なメロディー、演奏者は髭モジャのおじさん…、まぁ、無理か。この音楽が「好きだ」という夢を見ながら、ジェリーは罪な男だとつくづく思った。それでもどこか満足げに目を閉じている夢に「頑張れ」と無言のエールを送った。

「よし、じゃあこの曲終わったら帰っか」

「そうね。あっでもこの曲十分以上あるよ」

「マジで?」

僕はカウンターに入り、夢の後ろにしゃがみ込んで扇風機の風を遮った。

「カオリン邪魔」

「あっついんだよ」

夢はTシャツの背中をパタパタさせてから僕の方へ振り返った。

「ねぇ、聞いていい?」

「ん?」

「人に好かれない人間ってどんな人?」

「それは多分、人の数だけタイプがあるよ。だから、そういう面倒なことは考えないに限るよ」

「それもそうね」

 時計は一時を回っていた。涼しくなってきた店内に、何の歪みもかかっていないクリーンなギターが軽やかに鳴っている。ピアノが、音階をもった風鈴ように慎ましげにギターに絡んでいく。僕は立ち上がり、夢のコーヒーを飲み干した。

 

 

 

bottom of page