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 通夜には予想を超えて、たくさんの人がやってきた。百人くらいであろうと並べていた席はあっという間に埋まり、順々に後ろの壁沿いに人が並んでいった。あまりの盛況ぶりに「サクラが混ざっているのかも」と思い、よくよく見てみるとまだ健康だった時に働いていた職場の人が大多数を占めているようだった。

 一人一人が前に出て父に手を合わせたあと、席に戻る際に母や姉の友人、知人と時々父の知人が僕ら遺族に一礼しながら、通り過ぎていった。頭を下げ続けるも、知っている顔は親戚くらいなものだった。

「ほら、薫小さい時にお世話になった…」

 母はそんな僕を気遣ってか、そう教えてくれた。

「ああ、あの時の」

 覚えている訳も無く、こちらへ頭を下げていく見知らぬ人に僕はただただ頭を下げたり、母や姉が立てば「ああ、世話になった人なんだな」と思いながら一緒に立ち上がってお辞儀した。

 僕は父の死を誰にも連絡しなかった。ここ数年、苫小牧の友達とは会っていない。しかし連絡すれば必ず足を運ぶような気の良い奴ばかりだ。だからこそ僕は無言を通そうと決めた。

 参列者のほぼ全員が泣いていた。泣いていないのは母と僕くらいなものだった。場の雰囲気に身をまかせれば、涙の一粒くらい出よう。だが、この場で泣きじゃくる僕を草場の影から見れば父だって不安になることだろう。無理に泣くこともない。「こういう涙を強要する場は苦手だ」そんな冷めた気持ちで、涙を拭う参列者に僕は淡々と頭を下げ続けた。

 

 父の人生が生誕より順々に語られていく。姉は下を向いて泣いていた。横目でそれを見ていると青春時代に話は進んだ。

「まじめに仕事をこなしながらパチンコ、麻雀などのギャンブルを楽しみ…」

 ああやってたな。僕がまだ幼稚園の頃だ。懐かしみながら僕は遠い記憶に思いを馳せた。

「他の趣味としましては、フォーク音楽に勤しみ、ギターも弾いていたそうです」

 えっ?初めて聞くエピソードに僕は思わず語り部を見た。あの父が音楽を?しかもギター?そう考えていると初耳の要素は次第に頭で組み合わされていき、ロン毛でヒッピースタイルの父がギターを弾いている絵が頭に浮かんだ。僕はお腹に力を入れ下を向きながら、必死で笑い堪えた。

 

 父の遺体が安置されている大部屋に集まって、親族が父の思い出を語りながら、酒を酌み交わしている。

「いいか薫、ろうそくが消えねぇようにしっかり見てろ」

 早くも真っ赤になった伯父さんがそう言って親戚の輪に溶け込んでいった。しばらくの間、僕もその輪に混ざって相槌を打っていたが、やはり会話には入っていけなかった。

「ちょっと便所」

 煙草を持って席を立つと、僕はロビーへ出た。耳鳴りがするほど静まり返った誰も居ない空間だったが、奥に見える部屋に会場スタッフの影が動いているのが見えた。僕は妙に一人になりたくなって外へ出た。

 壁づたいに駐車場の方へ歩いた。親族は別の場所に駐車している。漆黒の駐車場には見える限り、三台の車がふてぶてしく残っている。

 ただっ広い駐車場を前にしゃがみ込みながら夜空を見上げた。空気が澄んでいるのだろう。星がたくさん光っている。『父さんは死んだ。…死んだんだ』頭でシリアスに何度か繰り返してみたが、やはり涙は出てこなかった。僕は煙草をくわえて目を閉じてみた。エコーがかったクラクション、車のドアの開閉の音、向かいにあるコンビニから話し声が聞こえる……以外と騒がしい。溜め息をついた僕を鴉の夜鳴きがからかった。耳の中で二月の冷気が旋風を巻いた。

 

 「ねぇ」

 女の声がした。驚いて目を開けると真っ黒い服が見えた。

「あっ姉なら中にいますよ」

 入口の方を指差して、その馴れ馴れしい態度に僕はぶっきら棒に答えた。すると女はケラケラと笑った。僕はイラッとしながら顔を見上げた。知り合いではない。直感でそう感じる化粧バッチリのお姉ちゃんだ。

「久しぶりね、薫ちゃん」

 夏樹?僕はしかめっ面で顔をまじまじと見つめた。

「えっ何でここに居るの?」

「あんたねぇ、お父さんが亡くなったんなら連絡くらいしなさいよ。友達なんだから…、私お母さんに聞いたのよ」

「おばさんはどうやっ…あっ新聞か」

 そう言いながら煙草に火をつける僕の隣に夏樹はしゃがみ込んだ。

「元気だったか?」

「それはこっちの台詞よ!ここ二、三年まったく連絡してこなかったくせに。何やってたのさ?」

「相変わらずの音楽漬けだよ」

「まだやってんの?随分続くわね」

「まぁいいじゃん。お前は?今何やってるの?」

「私今PTよ。理学療法士」

「へぇ、PTったらリハビリする人?格好良いじゃん。凄いな」

「まぁね。私凄いから」

「ああ凄いな。それより参列してたの?」

調子付きそうな夏樹を交わして僕は続けた。

「当たり前でしょう」

「ごめんな。何だか頭を下げるので手一杯でさ」

「そうだったね。私にも頭下げてたもん」

 僕は顔を横に向け改めて夏樹の顔を見た。

「いやでも、わかんないわ。化粧って凄いな」

「まっ、私は元が良いからね」

 鼻をツンとしながら夏樹が言った。

「うん…化粧って凄いな」

「元が良いって言ってるでしょ」

「別に元が悪いだなんて言ってないだろ。でも何か懐かしいなぁ。あっ茜ちゃん元気?」

「元気で頑張ってるんじゃない?最近連絡取ってないから分かんないけど」

「そっか、本田とまだ上手くやってんのかなぁ」

「あれ?別れたよ。あの二人」

「嘘!」

「やっぱ遠距離は難しいんじゃない?」

 そうかぁ、と呟いて吐いた煙が空気を真っ白に染めた。

「大変だったわね」

「そうだなぁ、二十年くらい苦しんだからね。まぁ父さんもあの世で、二十年ぶりの自由を満喫してるだろうよ。まぁ、まだ逝ったばっかだから意外と不安かもしれないけどね」

「そうね、きっと不安よね…息子があんただもんねぇ」

「ああ?何だよ」

「少なくとも安心はできないでしょ」

 確かに、僕は苦笑いを浮かべて、喪服の袖を擦った。

「でも全然実感が湧かないんだ。ずっと離れていたせいだと思うけど、…何か変な感じなんだよね」

「『ずっと』ってどのくらい?」

「七年くらいかなぁ」

「じゃあ学校辞めてから会ってなかったの?」

「正月には顔見せてたけど……うん」

 僕は改めて自分の親不孝っぷりを認識させられた。

「お父さんが亡くなったのに、実感がないっておかしいわね。どっか悪いんじゃないの?」

「…ああ、頭が悪いよ」

 横目で夏樹を見ながら僕は言った。

「私の台詞とらないでよ」

 喪服の上にぴったり張り付いた冷気はすでに皮膚まで浸透していた。立ち上がると寒さは全身を駆け巡り、僕の膝はガクガクと震えた。

「さあ、そろそろ限界だ。戻るわ」

「そう?じゃあ私も行くわ」

 コートをしっかりと着込んだ夏樹はすっと立ち上がった。

「帰るって言っても、もうバスないだろ?タクシー呼ぶか?」震える声で僕は言った。

「大丈夫よ」

夏樹は駐車場の方へ歩いていった。

「えっお前車持ってんの?」

 僕は震える体を両手で抱えるようにしながら、夏樹の後を追った。

 

 真っ赤なワンボックスの前で夏樹が止まった。中から見知らぬ男がこちらを見ながらペコリとお辞儀した。

「どうも、初めまして」

「あっ…どうも…」

「彼氏」

 夏樹はそう言って車に乗り込んでいった。

「は?ああ!どうも、あっそうっすか。いやー、ねぇ」

「この度は、ご愁傷様でした」

 妙なテンションで腕組しながら寒さにガタガタ震える僕に、喪服姿の彼氏は丁寧に言った。僕があっけに取られながらただ頷いていると夏樹が窓を開けた。

「私が行ってた学校のパンフ送ってあげるよ。住所は同じ?」

「えっああ、変わってないよ」

「じゃあね。元気でね」

 夏樹はいつになくまじめな顔で手を差し出した。

「おう、ありがとう。またな」

 僕は少し照れながら握手した。

「彼氏さんも、今日はどうもです」

 彼氏はハンドルを取りながらペコリと頭を下げると、エンジン音と共に軽快に式場を抜ける車を見送ると、突然辺りは静まり返った。気づけばただ広い駐車場にポツンと僕は立っていた。

「彼氏ねぇ…」

 当然かぁと思いながら、堅くなった指に息を吐きかけてから、僕は身を縮めて式場へと走った。

 

 遺影の前にあぐらで僕は座っていた。午前三時。辺りはすっかり寝静まっていた。僕はろうそくの火を見つめながら、父に語りかけた。

「あの夏樹が社会人になってたよ。彼氏もいるんだってさ。動いてるねぇ、時間は…」

 いつのものか分からない顔写真は近年見ることのなかった、スーツ姿が合成されている。

「本田と茜ちゃん別れたんだってさ。てっきり結婚すんだと思ってたよ」

 僕は遺影を手に取り、そのアイコラ写真を眺めた。

「この一年は周りから人が離れていくばっかりだったよ。俺一人宙ブラリっていうか、何だかなぁって感じになっちゃったよ」

 まったく良くできた写真だ。その挿げ替え技術に感心しながら僕は遺影を戻した。

「俺の時計はいつの間に壊れたんだろう」

 置いてけぼり感にしょぼくれながら、遺影に向かってそうぼやくと、ろうそくの火が微かに揺らめいた。

 

 僕はろうそく番としての使命をバカ正直にまっとうしたため、一睡もできなかった。

「線香じゃないんだから寝ればよかったのに」

 小声で囁いた姉を横目で見ながら、僕は神経をピリピリさせて葬儀を迎えた。

 

 

 

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