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映画「クレヨンしんちゃん

      ~嵐を呼ぶ栄光のヤキニク・ロード~」

 

           ―独断で紐解く、この物語の味わい方―

 

 

 映画版のクレヨンしんちゃんは面白いのです。ヘタなハリウッド映画よりずっと面白いです。最近はちょっと低迷気味ですが、「アッパレ!戦国大合戦」の一番の山場での「お前、逃げるのか?」という名台詞で一躍国民的な人気を博してからというものの、僕が小学生の時は禁止番組として放送の自粛を影で促していたPTAが映画が「第六回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞」(因みに第五回は「千と千尋の神隠し」が受賞)のほか計7つの賞に輝くとともに立場が危うくなり「まぁ、見たけりゃ…見ればいいじゃん」的な曖昧な態度を示さざるをえなくなったというように、その歴史も「いわくつき」で楽しいです。

 

 僕は映画版のクレヨンしんちゃんは家でゆっくりと寛ぎながら見なければその内容がよくわかりません。物語の大筋を理解することはできても、その一歩先がどうしても見えてこないのです。しかし、クレヨンしんちゃんの一歩先など20歳を越えた大の男が見る必要があるのか?と思わなくもないですが、見たい、知りたいという好奇心に年齢や性別、ましてやその対象など関係ないのです。そしてこの好奇心がザワめいたのがこの映画「クレヨンしんちゃん~栄光のヤキニク・ロード」のTV放送を見た時でした。本来ならば名作「アッパレ!戦国大合戦」についてかもしれませんがそれはネット上でいくらでも評価が見られますので、そちらをご観覧下さい。

 

 上記に書いたようにこの映画もTV放送を録画して何度も見ました。この「栄光のヤキニク・ロード」の初めの感想は「ああ、今回は駄作だ」でした。それは物語の後半まで何故、野原一家がヘリまで登場する大袈裟な追跡に合っているのかという理由が明かさない、といった映画「シックス・センス」のような仕掛けによる焦らしが気に入らなかったからに思います。しかし、気に入ろうが、気に入るまいがもはや繰り返し見ることは数年来の習慣となっていたためそれまでと同様に何度も見ました。するとこの追跡が何故ここまで大袈裟なのかがわかってきました。さらに見続けていくにつれ、明らかに深読みしすぎだとは思いますが、当てはまらなくもないと思われることが少しずつ見えてきました。 それではここで、その時々に気づいた事を大きく3つに分けて書いていきたいと思います。

 

 

 まず一つ目はTVの持つ影響力です。それが顕著に現れているのが物語の前半、野原一家が突然の訪問者に身の危険を感じ、戸惑いながらも我が家を後に逃げるのですが、逃げ込んだしんのすけが通う“ふたば幼稚園”にて園長先生に事情を説明していると後ろで点いていたTVにて指名手配犯として野原一家が映されます。罪状は、ひろし~異臭物陳列罪、みさえ~年齢詐称、しんのすけ~幼児変態罪と、ここまででも冷静に見るまでもなくおかしいのですが、さらに、ひまわり~結婚詐欺、シロ~集団暴走行為及び飲酒運転と続きます。ひまわりは0才ですし、シロは犬です。それにも関わらず園長を含むその場にいた職員達は恐れおののきます。つまりここではその罪状など、何でも良かったのだと思います。“TVにて指名手配犯としてのニュースが流れた” 意識はその一点に集中しているのです。

 しかし、それはスウィート・ボーイズ(追手)の電波ジャックによる嘘の放送でした。ここで浮かんできたのが“TV放送には誤報はあるが放送そのものがそっくりすりかえられる電波ジャックなど、まず起きない”という絶対的な信頼が芽生えているのではないかという漠然とした不安です。罪状に関する誤報への免疫は、普通にTVに親しんでいる人ならば、自然に身に付いた懐疑心を応用することによって作り出すことが出来ます。それ故に無意識下での対処は可能です。そしてこの状況で罪状を差し引くと目立って残るのは、指名手配犯という部分になります。これは一見しただけで拭ってしまうのは危険です。いくら知っている人といえども、その知っている人が犯罪に走ってしまうケースが珍しくない現状に於いて指名手配犯の疑いがある人を前にすれば逃げるか、少なくとも距離を取るといった選択は当然の事と言えます。ましてや幼稚園という場所を考慮すれば、園長の頭の中がいかに大変なことになっていたか、おおよその見当はつくかと思います。

 そういった状況を踏まえた上で、見てみるとこの場面での園長をはじめ、職員達の行動、言動は突然の身の危険を感じたニュースに対する健全な反応として理解できます。これに付随して、もう一つ気づいたのは、普段よりニュースを目にする機会は多々あれども、そこで語られるものが“自分(個人)に直接関わりのある情報であることは稀だ”という当たり前といえば当たり前なのですが、そうして毎日を過ごしていく内に次第に慣れてしまい、軽く頭を使う情報(つまり、声や文字)よりも一見してわかる(つもりになれる)映像の方へ、その比重ををずらしていっている気がします。ですから、この場面のように、突然自分に関わりのある情報が飛び込んできた時も、この日頃の習慣により園長達の行動は正確さを欠いたものになったとも考えられます。日々の生活からくる“慣れ”は様々な行動の効率を上げてくれる反面、過ちに気づけずに通り過ぎてしまうという落とし穴があるということをユーモアたっぷりに知る事ができる一場面だと感じました。

 

 その後も誤報の可能性+日頃の習慣から生まれたと思われる誤解に、さらに1億円の賞金が野原一家にかけられ、近所のオバさんや、しんのすけの友達、そしてしんのすけのマドンナ、奈々子お姉さんを含む、町中の人が野原一家を追い詰めます。この物語前半に見られるパニックはTV報道に於ける信頼の高さを揺さぶっている様に映りました。人は信頼性の高いものに対して次第に疑いを忘れていきます。「疑いを持つ」というのは自分で考える、消化するということです。物事の本質とはそうすることによって見えてくるものだと思います。今後、情報の伝達形態はますます多様化していくと思われます。しかしいくら形態が進化しようとも全てはそれを使う側に委ねられているのです。そう考えると現在のマルチメディアの在り方はこのままで良いのか?といった問題がアニメーションというフィルターごしにチラリと見え隠れするような気がした僕にとっては、久々の上質な皮肉に感じられました。

 

 二つ目は理由の分からない追跡への反抗です。冒頭にも書きましたが本編では物語の後半まで、何故追われているのかが野原一家と視聴者には語られません。しかし、4人+1匹に対して2500人の大軍でスウィート・ボーイズは追い詰めてきます。途中、家族がバラバラになったり、一時的にしんのすけが捕まったり、ゲイの男にひろし(野原家 父)が惚れられたりと様々な困難に見舞われますが、家族全員何とかスウィート・ボーイズの基地へ辿り着きます。その経緯に於ける神がかった運のよさや、偶然はご愛敬。何と言っても幅広い年齢層が見るわけですから、そういった現実離れした要素も取り入れなければ低年齢層を引き付けられないかもしれません。もちろん、大人が見ても面白いと感じる要素がしっかり入っている辺りが映画のクレヨンしんちゃんの魅力の一つに思います。

 

 何故追われる立場になったのかわからない。理由が分からないまま執拗に追われるのはとても恐ろしいことです。現実の日常生活の中でも些細な事(迷惑メールetc…)から大事件(ストーカー犯罪etc…)まで、そういった事は実際に起こっています。こういった問題を抱える現代でこの野原一家の取った行動は非常に勇気のある姿に映りました。「理由もわからないのに捕まってたまるか!」といった当然の反抗精神は現代人が忘れかけている重要な心構えではないでしょうか?また自ら敵陣へ向かっていく攻めの姿勢にも熱いものを感じずにはいられませんでした。

 

 三つ目に気づいたのは、世界中の生物を操れる機械の価値です。「そんなものは無い」と一蹴される方はそれまでです。ここではまず想像力、妄想力が問われます。それでは仮にこのような機械が開発されたとします。それも国や宗教、人種等とはまったく関係のない、熱海の温泉旅館で誰にも気づかれることなく、ひっそりと極秘に開発され、それが完成したという設定です。恐ろしいなんてレベルではありません。そして本編ではそれが現実となったのです。世界中の人間を、いや、生き物全てを軒並み思い通りの姿形に変え、電波のさじ加減一つで心まで操ることができます。物語はその均衡が破られた所から始まります。機械を開発していた人物が最後の仕上げに予定していた暗号登録に必要なヴォイス・レコーダーを持って逃げ出したのです。どこかの企業に売り込まれる事を恐れたスウィート・ボーイズが必死になった訳もわかります。そんな凄い機械の価値はドラえもんの秘密道具なみであろうから事は重大です。大袈裟な追跡の理由はそこにあったのです。しかしそんな派手に追っていれば怪しむ人が出てくるのが普通ではないかといった疑問もあるかと思いますが、そこはきっとTV放送とかで…ホラ、アレだ、適当にはぐらかしたんすよ…で!上手くすり抜けたとでも想像するのが正解です。時には物語の流れのままに解釈を進めていく柔軟さを持たなければ、楽しむことが困難になると思います。どんな作品であれ、まず楽しむことが大切だということを忘れてはなりません。

 

 以上が映画「クレヨンしんちゃん~嵐を呼ぶ栄光のヤキニク・ロード」についての個人的で大まかな3つの疑問に対する見解です。他にも観光地の客離れの問題や、本編では直接は語られなかった弟を思う兄の優しさといった兄弟愛の話が裏ストーリーとして隠れている気がするのですが、これはあくまで想像の域のため、ここでは伏せさせていただきます。

 

 第一印象がよく分からず、内容がさっぱり分からなかったためその反動による深読みのしすぎや、大袈裟な解釈と思われる箇所も多々あるかと思われます。もしそう感じられた時は軽く鼻で笑って、そっと胸に秘めていただけると幸いです。

 

 所々でネタばれと取れる箇所がございます。もし楽しみにしていた方がいらした場合はごめんなさい。

 

イビ ダイスケ

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